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一人称のすゝめ


片翼のメタトロン


一人称 三人称 ってありますね。

アイマイミーマイン
ユーユアユーユアーズ
ヒーヒムヒズヒム
シーハーハーハズ
ゼイゼアゼムゼアーズ
イットイッツイット

いや、そういうことでなくて。

今回は創作物のお話。

小説で、一人称か三人称で書くか。
書き始めに悩む項目の一つでもあります。


簡単なのは一人称。
三人称は上級者向き。
というのが一般認識。

書くのもそうですけど、実は読者にとっても同じ。
一人称の方が読み易い。

難読単語が少ないというだけではなく、視点の問題です。


私は読書が好きな性格でしたので、学校の図書館は教室とトイレの次によく通う場所でした。

没頭して読むは読むんですけど、子どもの頃は理解力が乏しかったというのもあり、指定図書などの意図を汲むことが出来なかった。
読書感想文の題材に、エッセイを選んでしまうような空気の読め無さを持っていました。
普通は、フィクション、物語を選びますよね。
実録系は芳しくない。

自分の空気の読め無さ、周囲の環境に合わせることの重要性に気付いたのが小学校5年生の時でした。

「うわ。私、自分勝手に行動していて恥ずかしいわ」

教師の指示一つ満足に理解できず、言われた通りに動けない・従えない自分を恥じて内気に拍車がかかりました。
意図を完全に汲み取った上で、敢えて反発しているというのではないのです。
理解できないんですね。
経験が足りなくて。
それで、動けないんです。

それから、せめて埋もれようという意識が働き、無難な人生を選ぶことを考えて来ましたが、ドジが過ぎてバカが過ぎて鬱も出て、思うようにいきませんでした。

悪目立ちするのに、能力が低くて無様を曝け出すのみで、地味なのに頭が悪くてコンプレックスしかなかった学生時代。
わかんないならわかんないなりに、おバカキャラでいけばいいのにね。
そういう度胸もなければ、話術も低く、人を惹きつける経済力もない。

無い無い尽くしの10代。


そうして、私はアホだという認識のまま、20代中盤になった頃。

職場のレクリエーションで、映画を観たんですよ。
介護施設に勤めていた経験があり、その関係で。

そうしたら職員の一人が、映画を観終わったあとに
「どんな内容だったんですか?」
と訊ねてきたのです。

え?
一緒に観てたよね?
同じものを観ていたのに、その人は内容が理解できなかったらしいです。

「いや…。侍がチャンバラするだけですけど」
「そうなんだ」

それで終わり。


読解力…(´゚д゚`)
どっか いった…りょく


そういえば、数年前にまた違う人と職場で

「恋空読んでた」
「読んでた」
「途中で意味が分かんなくなったから読むの辞めた」

という話をした記憶が蘇りました。

恋空は文法などが支離滅裂だとして評価が分かれますが、素人小説ですから仕方ない部分もあります。

その方は、内容が複雑すぎて理解することに疲れたと話していました。

えええ?
そうなんだ…。

恋空は、主人公が不良イケメンとくっついたり離れたりして揺れていましたが、やがて不良イケメンが癌だと判明し、主人公はその時付き合っていた彼氏をフッて不良イケメンの下へ向かい、最期を看取るというお話です。

付き合っていた彼氏は必ずゴムをつけてくれる誠実な男性なのに、主人公はナマでしかしない不良イケメンを選んでしまうのですよ。
なんつー話だよ…となりますが、そこまで話が進むのにイベントが大量に発生するのです。
登場人物が多い。
そして、それほどストーリーに絡んでこない。
捨て駒というのですかね。

そういうサブな要素が大量に出てくるので、読んでいく内に分からなくなってくるらしいのですね。


いや、分かるだろ。
とツッコみたいのをグッと我慢して、そのときは流しました。

しかし、こういう時に派手に同調しないのは私の悪い癖です。
空気の読め無さというやつ。

「だよねー! 分かんなくなっちゃうよね!」

と、ちょっとオーバーリアクション気味に反応しないと、つまんない奴だと思われてしまい、縁が切れます。
そして、本当に縁が切れました。

こういうことは、結構ありました。

傷つけあったこともあったけど
それは(え〜と)忘れた

私はKY(空気読めない)から脱したいと、ずっと思っています。
AKY(敢えて空気読まない)などという強気な態度を取れないのですね。

そうして相手に合わせることに慣れた人は、神経衰弱を起こします。
人間関係に疲れ、悩みます。
ずっと相手に合わせて生きてきた人。
女子に多い。
無理にテンション上げるのもつらいよね。


私は若い頃からハブられに慣れてきたので耐性がついていますが、耐性を持たぬ人には、ハブられは死ぬより辛いです。
合わせ続けるしかないですね。
無様な陰キャにはなりとうない。

そうして、人生の苦は尽きない、という。。。


メタトロンの力が必要です。
視点変換。
八方美人とまではいかないけれど、全方向に愛想よく。
媚を売るのとは違いますよ。
媚を売り続けるのは疲れる。
卑しいですし。

無理。
無理。
セフィロス、無理。

ジェノバになりきれない。
しかしジェノバになりたい。

片翼の天使。


分かりやすい作品とは


恋空って何人称でしたっけ?

どっちでも変わらんと思いますが、三人称だったかなあ?

読んでて訳が分からなくなるという人は、主人公が登場しない回があるから分からなくなるんですよね。
基本的に感情移入して読むので、主人公の視点が失われると退屈になるか混乱するかです。


物語というのは設定やイベントもそうなんですけど、主人公がどのように感じるか、活躍するか、周囲にどのように反応されるかが最重要ポイントであるので、人称の可否は実はどうでもいいです。

設定は極々平凡であっても、主人公が超絶おもしれー奴だった場合、それだけで話が進んでいきます。

そう考えると、一人称の方が有利です。
そして、視点変更は禁忌ですね。

主人公至上主義を貫き、他者の気持ちは主人公への態度から慮るのみ。
主人公に集中する。
これだけは守らないといけないと思います。


そして、訳わかんなくなっちゃうという人には、単調も単調のお話が一番。

あたし彼女 という野いちごの作品がありましたが、このくらい分かりやすくないと駄目です。

ケータイ小説ということで批判もありましたが、非常に面白かったですよ。
段々複雑になっていくんですけどね。


小説は、難しくないと駄目だという強迫観念が働きます。
改行は少なくとか、難しい単語を織り交ぜるとか。
三人称も同じく。
三人称で書けて一人前、みたいな風潮。

確かに三人称でないと読む気が起こらないときもありますけど、作品の面白さはそこには出ないです。

面白いものは面白いんですよ。

そして、バカにも理解出来る作品が良いに決まっているんです。

解釈次第では何通りも読める、というのが一番ですけどね。


一般的に、思い出構築と同じ要領で物語を読み進める人が多いので、場面が切り替わると思い出が途切れて前の出来事を忘れることがある。
それが、理解が追いつかなくなる主な原因です。


そして、大抵の作品はつまらないです。
タイトルや冒頭では決まらないかな?
いや、難しそうな冒頭は萎えるかもしれない。


私のnoteのタイトルも、たまに読む気しないものもありますよね。
「へ? つまんなそ」
そういうのに限って、結構持っていかれちゃったりします。

私は自分の書いた記事を読み直すことが多いです。
誤字脱字の確認の為に。

自分で言うのも難ですが、案外面白いかな、と思います。
「この記事、消そうかな」
と思って読み直しても
「別に問題はなさそうだ」
となって消すのを辞めます。


何が良いのかな?
学生の頃から、何故か日記類は先生に褒められた気がします。
「妙に面白いね」と。


クスッと系なんですかね。
大ネタでホームラン狙いではなく、ヒットもしくはバント、スクイズで地味に出塁する感じかも。
いや、たまにホームランも狙うんですけど、そういうのに限ってファールです。

三振でもいいんですけどね。

創作の先入観をなくしてもいいかも、という記事でした。
万人に理解されないと話にならないかな、と思って。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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