経典とは

日々宗教について調べていますが、中々全ての経典や教義を識る事は出来ません。
専門的な知識を得るためには経済的、時間、気力の面でも膨大と言える量とエネルギーが必要であり、追いつくのが難しい。
私が連ねることは既出もあり、先人により言語化と理論の確立が為されている場合もありますが、そこは温かい目で見守って頂ければ幸いにございます。

私が特に智を拝借するのは仏教です。
道徳は、仏道を学べば基本的な人道的心理のさわりくらいは理解できるだろうと見ておりますが、よくよく調べてみると仏教の教えには支配目的の邪説が紛れ込んでいるため、完全なるものでは無いと分かりました。
ゴータマ・シッタータは”全てを識るもの”の名を冠していますが、不明瞭な点が多く、本当に全てを知っていたのか?口には出さないだけで知ったかぶりをしていたのではないか?という疑惑も生まれます。

また、弟子たちによる解釈はどれもこれも未熟にも程があり、経典などに目を通すたびに

「どうしてそんな捻くれた考え方をするのか!」

と、叫び声を上げたくなるくらい煩悩に塗れた、無我の境地の念とは程遠いものとなっておりますね。

その中でも、特に訝しんでいますのが毘盧遮那仏による華厳経でございます。
この宗派は、天上天下唯我独尊、この世界と宇宙は我のものであり、いかに仏の法身大日妙法の力が強大であり、弥栄、この世全てを湧き立て奉る妙力に優れ、全世界に繁栄をもたらすことが出来るかという説法がこれでもかと詰め込まれています。

そして何巻にも及ぶ蓮華・華厳経を読誦すると大変な功徳があり、蓮華蔵世界へと導く波羅蜜光(これは現世では別の名で呼ばれているかもしれません)が天より降り注ぎ、仏となった魂を極楽浄土へと導くと謂われているそうです。

そんな凄い力があるなら、是非ともあやかりたいものですとなるのが人の心。
実際に、死の直前の人の眼前には、金色輝く波羅蜜光が一瞬、チラリと視えることもあると言います。
これは人類共通の死の兆候ですね。

ところがどうでしょう。
密教の組織中枢は性的に乱れに乱れ、金銭にだらしなく人を人とも思わない地獄絵図が人知れず繰り返されてきた、俗の中の俗とも言える宗教法人です。

そういった内部の状況は、実は珍しいことではありません。
人が集まればそうなることは自然の理。
乱れ、腐敗するものなのです、組織というものは。

そういう訳で、如何に崇高なる志を掲げ、高説を垂れることを生業とする、世の中の説教屋ならぬ説経屋の唱える経は、本当にご利益があるのでしょうか?

般若心経をざっくりと直訳すると、以下の内容になります。

世の中は空っぽ。
本質なんて存在しないんだよ。
ねえ、シッタータ。
どうしたらこのなんとも言えない虚無を拭い去れると思う?
ぼくには分からない。
寂しくて、泣きたくなるような世界。
すがるものも何もなくて、頼りないぼくはもう潰れそうだよ。
助けてよ、シッタータ。お師匠様。
一応頑張ってみるけどさ。
悲しいよ、とても。
愛していました、釈迦如来よ。

かなり突飛であり超訳していますが、だいたいこんな感じです。
他にも経典は山程存在するのですが、有名所の般若心経をピックアップして書き出してみました。

こんな内容で死者の魂が慰められるとお思いになられますか?
これは釈迦の弟子が書き連ねた有り難い真言らしいのですが、愚痴にしか見えません。
まるで、インフルエンサーがファイナルアンサー的な事を言ったので、民衆がそれに納得して此れを「崇高」と決定付けたような適当さです。

こんなだから、他力本願を由とする、お経は不要説を訴える浄土真宗が生まれたのですね。
実際、全ての生き物は放っておいても成仏します。

死者への慰めなんて大多数にとっては興味がないか、葬式代の捻出に申し訳が立たない、遺産相続で揉めに揉める親族たちを見て複雑な心境しか沸かないかでしょう。
中には丁重に見送られて涙する方もいらっしゃいますが、中々そんな恵まれた環境に身をおく人というのはいないものですよ。
葬式の様子は故人も見ておられますので、死人に口なしだからといって滅多な事をいうものではありません。
死者を冒涜するようなことがあってはなりません。

私は、以前twitterで邦楽の中にはお経の代わりになるものもあるのではないか、と呟いたのですが、その実例をいくつか挙げさせて頂きたいと思います。

ロビンソン  byスピッツ


本歌詞

新しい季節は
なぜかせつない日々で
河原の道を 自転車で
走る君を追いかけた

思い出のレコードと
大げさなエピソードを
疲れた肩にぶら下げて
しかめつら まぶしそうに

同じセリフ 同じ時
思わず口にするような
ありふれたこの魔法で
つくり上げたよ

誰も触れない 二人だけの国
君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る

片隅に捨てられて
呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて
無理矢理に頬寄せるよ

いつもの交差点で
見上げた丸い窓は
薄汚れてる ぎりぎりの
三日月も僕を見てた

待ち伏せた夢のほとり
驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで
生まれ変わるよ

誰も触れない 二人だけの国
終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る
大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る
ルララ 宇宙の風に乗る


超訳

生死の境目
新しい人生の始まり
人生の終わり
思った通りにいかない
せつない気分になることばかり
足場の悪い中を自転車操業
いつだってそう
憧れの人 憧れの地 憧れの環境 自らの理想の背を追い続けた
いくつも積み上げた思い出と経験
いつだって人生は誇張まみれ
見栄を張って必死に生きてきた
人生は何をしても辛くて疲れ切ってしまう
眉を寄せてしかめつらをしながら
どうにもならないもどかしさを抱えたまま
天を仰ぐよ
太陽を見上げるよ

偶然の重なりと運で紡いできた此れまでの道筋
口に出さずにはいられない衝動
自分が感じたことはいつも誰かの通った道
完全なるオリジナルなんて有り得ない
でもね 魔法みたいに素敵だったんだ
自分の経験や発言は
そうやって誰かの言葉を借りたり再発見したりを繰り返して
ぼくは頑張ってきたよ
人生を歩んできたよ

自分の大切ななにか
大事な時間
絶対に誰にも汚させない 自分だけの聖域

大事なものはいつだってそばにあるんだ
忘れたり手放したりを繰り返して その価値の高さを識る

生きることと死ぬこと
宇宙の真理で 空こと虚無から抜け出したその時は
魂の長い道筋
宇宙の風に乗れるよ
本当の自分を見つけ出せるよ

疎外感や孤独感に押しつぶされて自分の価値が見えなくなっても
それでも人間は生きていかねばならない
食い物にされて惨めで辛くても

自分と似たような境遇
それよりも辛い状況を見てしまっても
誰かと比べたりしてはいけないよ
歩み寄りの心を忘れては行けないんだ
苦しみが益してしまうから

いつものスクランブル交差点
衝突ばかりでつらい日々
空の広さを見て 気を紛らわせることも必要だ

心身ともに疲弊しきって辛くて
精神的にキリキリ舞いになってしまっても

時代の神はいつもぼくを見ている
きみを気にかけない存在はないんだよ

死にそうになって夢に溺れてしまった
沼の対岸から這い上がると
大切なきみがいた
ぼくを心配して安否を訊いてくるんだ
先の見えない迷宮は尽きないけれど
何度だってやり直せるよ
今生は無理でも
来世でもその次でも何度でも

ぼくの大事な聖域は誰にも触れさせない
いつだって自分は守らなければならない

永遠に終わらない魂の轍
知らぬ内にぼくはたくさんの人に影響を与えている
みんなそうやって互いに影響しあって生きている

宇宙の風(枷)こそが自分の真の役割
これに乗ることが
本当の自分自身の幸せであるのですよ



※時代の神=三日月
常に移り変わる世。
お月様はいつも私達を見ている。
月齢により姿を変えて現れたり消えたりを繰り返して。
まるで時の移り変わりのように。
転変、不変を繰り返しながら共に時を刻み続ける。
その比喩ですね。

もっと訳が必要でこれも言葉足らずなのですが、大体こんな感じです。
これで死者の魂が慰められるとも納得がされるとも思いませんが、私はお経の内容はこんな感じだと思っていたんですよ。


いつでも何度でも   by木村弓


本歌詞

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数え切れないけれど
その向こうできっと あなたに会える

繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いてみえるけれど
この両手は 光を抱ける

さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんな同じ

呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから


超訳

なにかがいつも呼んでいる気がする
私の衝動
やりたいこと
いつも心躍るような
楽しい夢をみたい
思い通りの世界を描きたい

それも悲しみは尽きなくて
数え切れない程の苦しみを経てきた
でもその先の向こうで
きっと あなたに会える

何度でも何度でも過ちを犯す
失敗を繰り返す
その度に
物事の真理が見えてきて
まるで空の青さの奥深さを識るよう

人生の道は果てしなく続いている
永く辛い茨の道に見えるけれど
私の両手はいつだって
夢や希望を抱けるの

心臓の鼓動が止まってしまって
ゼロの世界
生まれる前と後の世界へ行く
信じられないね
わたし
死んでしまったよ

生きている不思議
死んでいく不思議
花も風も街も
みんな同じ
いつかはゼロになるの

なにかが私を呼んでいる
いつも何度でも
夢を描いて
私は幸せな時を紡ぐの

かなしみ
(悲しみ 愛しみ)
の数を言い尽くすのも良いけれど
同じ唇 
自分の身体で
そっと自分の人生を歩んでいこう
歌うとは言葉を発すること
生きることでもある

いつか忘れてしまう思い出
そのなかにいつも
忘れたくない
なにかがある
鏡は自分自身
自分が粉々に砕かれてしまっても
心が壊れてしまっても
世界は静かに残酷に廻り続ける

はじまりの朝
生まれた日と死んだ日
静かな視界のその先
満たされてゆけ
わたしよ
充たされてゆけ

海の彼方
私を産み落とした母なる存在
もう探さない
輝くものは
いつも自分の胸の中に
わたしの中にみつけて
たいせつなものは
いつだってわたしなの


希望の鐘が鳴る朝に    by THE ALFEE


本歌詞

凍える都会に一人
未来の姿が見えない
うずくまったまま
本当の心隠して

愚かなことは
目を伏せて何もしないこと
傷つくのを恐れ
大切な愛を失う

暗闇を手探りで
夜明け求め彷徨う
迷路のような毎日を
抜け出す勇気が欲しい

いつまでも君でいるため
明日を諦めてはいけない
変わらない君であるため
孤独に負けないで
自分に勝つために

激しく燃えた恋も
穏やかな愛に変わるよ
見つめ合うよりも
同じ未来見つめたい

形あるものすべて
やがてきえてゆくものだから
触れ合って生きよう

今をその日その時代を

自由を奪われた鳥籠のような日々
時間の鎖
その手で引き裂く力を持て

いつまでも君でいるため
未来に流されてはいけない
どこまでも君であるため
孤独に負けないで
自分に勝つために

負け続けた日々と
泣き明かした夜を重ね
素直に生きることは
傷つくことだと知る

今こそ希望の鐘が
鳴り響く朝に生まれ変わる
君だけの生き方がある
明日を勝ち抜いていくために


超訳

心までも凍えそうな世知辛い世界に一人ぼっち
未来の姿が少しも見えない
何も分からない
本当の自分を曝け出すと
馬鹿にされてばかりで
それが辛くて
いつだって本心を隠して
虚勢を張って生きてきた

それでもね
愚かなことは
目の前の景色を見ることもせず
何もしないで流されること
バカにされて傷つくのを恐れて
勇気を出せずにいると
本当に大切なものを見失う

無明の世
何も見えない中を
夜明けの光を求めて
さまよい歩く
迷路のような日々を抜け出すため

勇気
希望
欲しい

いつまでも自分が自分でいるために
人生の模索を辞めてはいけない
私の大切な部分を守り続ける為に
寂しいからと邪な囁きに流されてはいけない
あなたが本当の意味であなたでいるために

恋はいつか冷めるもの
それでも穏やかに慈しむ気持ちが持てれば
それは本物だよ
見つめ合って刺激を求め続けるよりも
同じ方向を向いて
同じ未来を歩んでいきたいね

形あるものは全て
やがて壊れて消えてしまう
一瞬のきらめきを大切にして
心を繋いでいこう

今その日その時代を
遷り変わっても
慈しんでいこう

自由を奪われた窮屈な鳥籠のような日々
その中で過ごす時間
有限の時間
いつかは終わる戒め

自由は本当はあなたの手の中にあるんだよ
縛っているのは自分自身
思い込みと勘違い
自分を不幸に至らしめるものを
引き裂いていこう

いつまでも君が君であるように
思い描いた幻想と云う名の呪縛
その通りにいかないからと地団駄踏むのは少しにして
どこまでいっても君が君であるため
独善に負けないで
己の掛けた呪いに打ち勝って

思い通りにいかない日々
負け続けて悔しかった日々
何度も泣き明かした
そんな日を重ねて
自分の思うどおりに生きるためには
傷つくことは避けて通れないと悟る日が来る

今こそ希望の鐘が鳴り響く
朝日と共に何度でも生まれ変わる
あなただけの生き方がある
他の人なんて本当は関係ないんだよ
明日は笑顔になれますように


これについてどう思うかは個人の解釈に寄ります。
これらはあくまでも私の考察であり、実際の葬式の場で読経されずにこの歌が流されたら遺族方々は驚くでしょう。

あくまでもWEB上にある一文章の一つとして記憶の片隅にでも留めて頂けたら幸いにございます。

ご静読 ありがとうございました。

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