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ショートショート 名刺交換


「あれ?嘘、高橋くん?」

懐かしい声に、思わず振り返った。
「…え、田町さん?」
夕方、駅前のリクルートスーツ集団の中に、その声の主を見つけた。

「…田町さん、何やってるの?」
「え?…あー、なんかさ、新人研修みたいで」
「…あー」
道ゆく人を捕まえ、名刺交換をしている人がちらほらと居る。何となく察しがついた。

「本当やんなっちゃう」
そう言って田町さんはヘラッと笑った。

「高橋くんはさ、元気だった?」
「…あ、うん」
「…そっか」


5年前、高校で俺と田町さんは同じクラスになった。
席が前後で、たまたま趣味が同じという事もあって意気投合し、そして付き合うようになった。

だけど卒業後は別々の大学へ進学。今までのように会えず、ちょっとした事で喧嘩。

別れた時だって、しょうもない事での言い争いが原因だった。


まさか、こんなところで再会するなんて。



「高橋くんはこの辺で働いてるの?」
「あ、うん。ここ本社があるから」
「そっか、いいなぁ」
「え、田町さんは違うの?」
「私、地方に配属になるみたいなんだよね。
この辺りに通勤してくるのも今月が最後なの」
「…そうなんだ」
「入社前にもう少し調べとくんだったよ」
田町さんは少し寂しそうな顔をしてから、またヘラヘラと笑った。


会えるのは、今日が最後かもしれない。


「なんか引き止めてごめんね、ビックリしちゃって。
じゃあ高橋くん、頑張ってね」
「あ、ね、ねぇ!」
田町さんは、一瞬躊躇いがちに振り返った。

何で呼び止めたのか、何を喋ろうとしたのか分からない。
反射だった。

そうだ。
今なら、もしかしたら。


「あのさ…」


俺は、田町さんの目を見つめた。


「……研修、なんでしょ?」
「え?」
「名刺交換。俺もまだよく分からないからさ、
練習も兼ねて」

不安げな表情からしばらくして、また田町さんの顔に笑顔が戻った。

「そうだね」

「…初めまして、わたくし、〇〇商事の高橋と申します」
「頂戴致します。
わたくし、××食品の田町と申します」
「今後とも、どうぞ宜しくお願い致します」
「こちらこそ、宜しくお願い致します」

田町さんは笑顔を浮かべて言った。
「なんか面白いね、もう会わないかもしれないのに宜しくって」
「それが社交辞令って奴なんじゃない?」
「そうなの?そっか」

「これでノルマ達成だ、会社帰らなきゃ。
じゃあありがとね、高橋くん」
「あの」
田町さんは不思議そうな顔で振り返る。
「ん?」
「お体、お気をつけ下さい」
「ふふ。出た、社交辞令」


田町さんは、俺の方に向き直った。


「ありがとうございます。そちらこそお気をつけ下さいね」


少しの間、田町さんは俺に笑顔を向けて、それから目の前の道をまっすぐ歩いて行った。


どんどん、どんどん俺から遠くなっていく。


手元の名刺に目を落とす。
『××食品 営業部 田町梨香』
知らない会社だ。


顔を上げると、田町さんの姿は見えなくなっていた。


田町さんはいつもポジティブで、逞しい人だ。
これから先も上手くやっていけるだろう。


俺も田町さんを見習わないと。


「…あー、しんど」


夕方、いつもは綺麗に感じる夕焼けが、何だか今日はやけに堪えた。



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