クチコミが先入観をつくる

私はお店を選ぶとき、クチコミを絶対に見る。行って嫌な思いをしたくないからだ。一定数、「ここは最高!」って評価が無いと不安で行くことはできない。ありすぎてもサクラだと疑ってしまうのだが。

朝、自分の身体に異変があることに気づく。今までにない身体の変化に不安を感じ、急遽病院に行くことに。

しかし悲しきかな、私の近所にはあまり評価のいい病院がない。いつもなら遠めの病院でも星が4以上のところに行く。ただ、今回は前後に予定がある。

しょうがない、今日は星3.2、直近のレビューが星1の病院を予約することにした。電話をとってくれた女性の声が少し冷たく感じた。レビューによると、これからいく病院は受付の女性の愛想が悪く、先生は適当に早口で診察を終えるらしい。大丈夫なんだろうか。

いざ出陣の時、不安だらけの病院なのに私は保険証を忘れてしまった。恐る恐るその旨を伝えると、

あれ、なんか普通。

受付の人は冷たくないし、むしろ優しい。自分が行った時は素敵な受付の人だったのかな。ただ、私には大事な診察が残っている。レビューによると女性のお医者さんが少し危険だそうだ。

呼ばれた、先生は女性だ。

思わず息を呑んだ。

自分の症状をちゃんと報告できるか、不安で仕方がない。先生にお話しする、不安な部分を診てもらう。

え、めっちゃ診てくれるじゃん。しかもすごい丁寧に説明してくれるじゃん。

私の不安は杞憂に終わった。私は心の中で星5をつけた。それと同時にこう思った。

私は、偏見の目でこの病院を診ていたのか。彼女たちは私を一患者として「普通に」接していた。しかし私は、受付は冷たく、先生は早口、そう考えながら彼女らと接していたのである。

クチコミはそのものの価値を可視化する。私たちは星でわかりやすく、それがよかったか悪かったか、皆で共有する。レビューで個人の意見も色濃く残り、それが私たち人間であると自覚する。

だからこそ、

それが絶対的なものだと思い込んでしまうのではないだろうか。そこにはお店側の気持ちも、googleで声をあげないお客の声も含まれていない。

私はクチコミと病院での経験を通して、自分が誰かの評価を基準にしていることに気づいた。言い換えるならば、誰かが言っている「良い」に従っているんだと。

これってつまらないなって感じる。誰かの良いに従うのは、決して挑戦的でも発見でもない。評価がいいところに行ってもそれはそれ以上でもそれ以下でもない。

「見落としている選択肢を探すことに喜びを感じている」そう、面接で高らかに語った自分は今どこにいるのか。

これからは、クチコミなんか見ずに選んでみよう。自分が良いと思ったところを見つけてみよう。無駄な選択なんてない、後悔も一つの出会い。そう考えて色んなものを選んだら、「ここの店員さんは怖いらしい」なんて思わず自分の素直な気持ちで体験できるから。

だから、クチコミって先入観。そう思いました。

ってね。


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