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『京都学派』菅原 潤

帯に書かれたフレーズ 

—「世界最高」を目指した最高の知性は、なぜ「戦争協力者」へと墜ちたのか?— 

これを鵜呑みにすると肩透かしを食う内容だった。

本書は、京都学派(西田幾多郎と田辺元、京大四天王と言われる西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高)を軸とした、近代から現代に至る日本思想史と言ったほうがいいだろう。
西田哲学と学説に対する批判や、西田・田辺の京都学派と近年の「新京都学派」に言及し、少々詰め込みすぎのきらいはあるものの、日本思想史として読むなら非常にわかりやすくまとまっている。

著者は本書の中で次のように述べている。

「時局に便乗した発言をした知識人や文化人は京都学派の哲学者たちだけではなく、一見すると時局に抵抗したかに思われた三木清をはじめとする左派知識人の多くも含まれていたのだから、戦争責任を京都学派だけに押しつけるのは適当ではない。」

これが著者の本書におけるスタンスである。もっとも、だからといって著者は手放しで京都学派の戦争責任が免れると言っているのではない。

当時の日本における脱亜、特に中国に対する日本の優位性を際立たせる目的での自文化礼賛の風潮に言及した上で、後の新京都学派の一人である上山春平の思想を含めることで、戦前の負の遺産を乗り越える視点の獲得に繋がるのだとしている。

本書を「批判精神を欠いた論説」と捉えることもできるだろう。
個人的には、京都学派、特に西田哲学が展開した「純粋経験」と、そこから影響を受けた西谷の「主体的無」といった精神性と、戦争を賛美する(西谷にあってはナチスを賛美する)に至った背景との関連などを掘り下げる内容だともっと面白かった気もするが、明らかに新書の範囲を超えてしまうだろう。

菅原潤 (2018)『京都学派』講談社現代新書


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