やまねの塒日誌|vol.33|リビセンみたいなお店をやりたくなるまで
秋ごろ、とある空き家の所有者さんに出会った。
「独りで暮らしていた母の3回忌が終わったら、家を売りたい。」とのこと。
聞くと、所有者さんは、大山から直線距離で600km以上も離れた
現在のお住まいから年に2〜3回帰って来られて、
その都度片付けながら、地域の人たちに声を掛け、必要なモノがあれば持って帰ってもらっている、とのこと。
(所有者さんもなかなかのご年配なのに、です。)
「すごい」
時間的にも、金銭的にも、体力的にも、精神的にも
そこまでかけておられるのは、シンプルにすげー、と思った。
片付けを少しお手伝いさせてもらいながら、
「昔はこの部屋が商店になってて、みんな買い物に来てた」
「この椅子に座って店番をやってたねぇ、椅子も手作りだし」
「どの押入れも布団でいっぱいだ。昔は親戚がたくさん泊りにきてたからね」
「幼いころはあっちの集落の別の家に住んでいて、この家は自分が小学生ぐらいの時に建った。みんなであの辺まで壁に使う土を取りにいったのを覚えている」
「自分は一人っ子だったし、若くで都会に働きに出ちゃったし、親父もはやく亡くなった。ばあさん(お母さん)独りの時間が長かった。それでも100歳近くまで生きた」
一つひとつのモノを起点に、ぽろりぽろりとエピソードがこぼれ落ちてくる。
その様子が、最近すとんと附に落ちることがあった。
先日、私の義理の祖母が亡くなったとき、お寺の住職さんのひとこと。
「仏さんの生前の話をたくさんされることが、一番の供養になります」
それって、もちろん故人にとっても嬉しいことだと思うのだけれど、
ていねいに思い出を噛み締めることで、遺された人たちの心の整理がされるってことだ。
もしかしたら、この空き家の所有者さんも
こうして片付けながら、一つ一つ思い出しながら、口に出して話しながら
お母さまや、暮らした家に向き合って、十二分に供養して、
同時に、自分の気持ちも整理できていたのではないだろうか。
だからこそ、労力をかけてでもこの家をきちんとした状態で
人に手渡したいと思うのかもしれないなぁ、と。
私も、けっこうたくさんのモノを譲っていただいた。
ガラスの食器、ショーケース、木製スツール、気泡入りの碧い海苔瓶、りんご箱や道具箱、古い木材、などなど…
私にとっては、磨けばかがやく宝物ばかり。
私のほかにも、素敵だと思う人がいることは一目瞭然だった。
有り難かったのは、私の宝物探しを、所有者さんも一緒に楽しもうとしてくださったこと。
「私は、こういうものが好き!」ということや
「こんなふうに使いたい」ということを伝えると
次の日には「こんなのも好きなんじゃない?」と、所有者さんなりに
セレクトしてくださっていたことしばしば。
お手間を増やしてはいけないと思いつつも、
「で、このりんご箱をどんなふうに使うつもり?」と、興味津々。
「引き取ってくれること自体が有り難いのだから、謝礼は絶対にいらない。
もしもそげなもん持ってこようもんなら、モノを全部返してもらうからな!」
と、しつこめに脅され(コラ)、ちょっと途方に暮れている。
本当に、これでいいのだろうか?私だけがもらいっぱなしになっていないか?
それに見合うだけのなにか還元ができたのだろうか?できる方法はないか?
あれからずっと、ぐるぐると考え続けている。
もちろん、みんながみんなここまで丁寧に、労力や時間はかけられないかもしれない。
いつ、何がきっかけで実家や自宅が空き家になるか、イメージできないかもしれない。
せっかく先の世代のことを想って建てた・建ててもらった家を、子や孫に負担になるような形で遺してしまうかもしれない。
何をどうしたらいいのか、わからないかもしれない。
何かに気づいた時にはもう、身体が思うように動かないかもしれない。
そんなときに、私も手伝いができないだろうか?
少しでも支援ができるようなしくみづくりができないだろうか?
そんなことを考えていたとき、古道具好きの友人のことばを思い出した。
「諏訪にある、リビルディングセンターって知ってる?」
(つづく)