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「先生」という呼称

新卒で地方の進学塾に講師として採用された。教師になりたかった訳ではない。教職課程も履修しなかったし、自分の中に「先生」になるという選択肢があったのも驚きだった。
元々英米文学の研究者になりたかったし、なれなかったとしてもライフワークとして研究はし続けたかった。国語の先生なら嫌でも文章は日常的に読むことになるだろうし、受験生に文章の読み方を教えるってなんだか文学研究に似てるんじゃない?って思ったのだ。
そんな風に選んだ会社で私は入社したその瞬間から「先生」になった。

その会社では、係長や課長、部長という肩書きはあるが、それを使って名前を呼ぶことはほとんどなかった。入社1日目の私も、勤続30年の大ベテランも、子どもたちの目の前に立って話をする人はみんな平等に「先生」だ。私と一緒に入社した同期は十数人いたが、初日の研修からみな「先生」と呼ばれることに緊張しているような面持ちだった。でも、私はちょっと違った。

私は、なんて楽なんだろうと思っていた。社員のほとんどは男性、しかもおじさんばかりだ。顔も名前も分からないのに、肩書きや役職なんて覚えられる気がしない。でも、簡単だ。「先生」と呼びかけてしまえばいい。その場にいた何人かが同時に振り向いてしまうかもしれないが、役職を間違えて怒られるよりマシだ。

「先生」という職業について、授業をするということについて、何のイメージもわいてなかった私はそんな風に気楽に「先生」という呼称を受け入れた。生徒の前には全員平等に「先生」であるということの意味をこのときはまだ、全然分かっていなかった。



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