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キラキラとした理由がなくたって(窪田の場合)

山梨移住計画のnoteをご覧いただいているみなさま、こんにちは。

5年前に東京から山梨にUターンし、韮崎を拠点に活動している窪田です。

趣味はサウナ。マービーさんの『知られざる温泉県山梨』シリーズでお気付きの方もいると思いますが、山梨には良いサウナ(温泉)がいっぱいあります。

ここで熱く語るのは控えますが(いつか語りたい...!)、興味のある方はインスタのサウナアカウントをよければご覧ください!

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そんな私は、東京からのUターン後、1〜3年目は韮崎市の地域おこし協力隊として活動し、卒業後はフリーランスとして開業届を提出。

現在は“やまなしの人や暮らしをつたえる”というコンセプトでデザイン・編集業をしているBEEKの土屋さんの元でスタッフをしながら、協力隊時代に始めた韮崎市のローカルメディア「にらレバ」のライターをしたり、地域のデザイン仕事を受けたりしながら生活しています。

今回は自己紹介を兼ねて、私のUターンまでの経緯と今感じていることを書いてみようと思います。

『透明人間感』を抱えていた東京での日々

私の実家は韮崎の隣の北杜市にあり、学生時代は毎日バスで韮崎高校に通っていました。

ギター部(という名の軽音楽部)の先輩たちの影響で、90年代ロックを中心とした音楽にどハマりした私は、多くの山梨の若者がそうであるように、「全ての文化は東京にある!」「とにかく東京に出るべきだ!」と思っていました。

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▲東京で住んでいた家賃6万8千円のアパート

しかし、転職していざ東京デビューを果たしてみたら、「なにかがちがう...」という違和感が。

ライブハウスや古着屋さんなどの好きな場所にすぐに行ける環境は素晴らしかったけれど、上京したいがために深く考えずに選んでしまった仕事は向いている気がしないし、新しい友だちのつくり方もわからない...。

今となっては、「もう少しうまくやれたのでは?」と思いますが、当時の自分は視野が狭くてダメダメだったわけです...。

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▲東京タワーから見た会社周辺の景色

私がいてもいなくてもこのまちは何も変わらないのだろうという『透明人間感』を抱えながら、日々暗い地下鉄を走る満員電車に揺られていました。

そうして将来に不安を感じ始めていたときに、友人から「韮崎市の地域おこし協力隊にならない?」という誘いがあり、これは人生を大きく変えるチャンスなのでは...?と感じて韮崎に戻ることに決めました。

多くの出会いがあった協力隊としての活動期間

「理想の田舎暮らしを求めて」などというキラキラした理由ではなく、どちらかというと、先の見えない東京での生活から脱出することを目的としてスタートした私のUターン生活。

韮崎市の協力隊としての主な活動内容は、青少年育成プラザMiacisという施設の立ち上げと運営でした。

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ミアキスは、まちの大人たちが「中高生に居場所をつくってあげたい」と声をあげたことによりできた公共施設で、中高生が放課後や休みの日にふらりと立ち寄って、自由に過ごすことができる空間です。

私はここで広報係に任命され、施設のコンセプトやロゴマークをつくったり、イベントの運営をしたりしながら、日々中高生と接していました。

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自分が高校生だった頃は、韮崎にどんな大人がいるのか全く知りませんでしたが、大人になって改めて地域の人たちと関わってみたら、子どもたちや若者の幸せを願って行動を起こす大人が多いことにびっくりしました。

「あれ?韮崎っていいところかも...?」

人の良さ、生活の利便性、豊かな自然に触れる度に、その思いは少しずつ、大きくなっていきました。

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▲韮崎の有名な一本桜「わに塚のサクラ」

協力隊の活動期間は最大3年間のため、任期が満了したところで、『起業支援補助金』という制度をフル活用して独立。

そうして今も協力隊の頃にできたつながりで、韮崎で仕事をさせてもらっています。

ちなみに、現在お世話になっているBEEKの土屋さんと出会ったのも、ミアキスの『大人図鑑』という、中高生が親や学校の先生以外の大人と接する機会を増やすことを目的としたイベントだったので、繋がりに感謝です。

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▲餃子を愛する土屋さん。いつもありがとうございます!

この5年間で大きく変わった韮崎市

Uターンした2016年以降、韮崎のまちは、想像以上に大きな変化がありました。

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アメリカヤビルの15年ぶりの復活を皮切りに、お店を出す若い人たちが増えていて、「今度〇〇ができるらしいよ」というワクワクする噂を聞くのが日常茶飯事に。

市外の人がわざわざ韮崎に飲みに来たり、さまざまなメディアで紹介されたりと、注目度が高まっているのが感じられるようになったのです。

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▲飲み屋街「アメリカヤ横丁」は駅近。飲んでも電車で帰れます!

合併していない人口3万人弱の小さなまちだからこそ、「自分のまち」が少しずつ変わっていくのを、そして変えていけるのを実感できて、住んでいてすごく楽しい。

これは東京ではなかなか味わえない感覚だと思います。

Uターンしてみて感じること

移住(Uターン)したって、自分は自分なわけで、楽しく幸せに暮らしたいと思ったら、それなりの行動を起こすことは必要不可欠です。

けれど、地方(少なくとも韮崎)は、「受け入れ力」が半端ないので、「これから頑張っていきたい」という気持ちさえあれば、応援してもらいやすい環境だと思います。

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私も韮崎に来たばかりの頃は不安でいっぱいでしたが、「来てくれてありがとうね」と言ってもらえて心から安心した経験があるので、地域に恩返ししていきたいです。

人口の多い東京にいた頃よりも、今の方がずっと多くの人たちと会っていて、自分の知る世界が広がっていくのを日々感じることができます。

東京にしかない良さもあるけれど、地方にしかない良さもある。

Uターンしたことで気付くことができた山梨の魅力を、今後もお届けしていけたらと思います!


窪田いくみ
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