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猫はかわいい。

「猫が好きなひと」をやっている。

SNSやらなんやらのアイコンを猫にしてしまうのは、「得体の知れないやつ」から「猫が好きなひと」になるためである。安心安全。実にわかりやすい。

仕事をするときなんかも、相手が「なんのひと」かわかるとやりとりがスムーズになったりする。それをさりげなく確実に伝える役割を、我が家の猫たちに担ってもらっている。

猫が好きなことに嘘偽りはない。

好きという表現で合っているのか。好きなどと軽々しく言っていいものだろうか。他にどうあらわせばいいのかわからないから、便宜上、好きとする。

猫に限らず、だいたいの動物は好きだ。たとえば?と聞かれるとあれもこれもと次々に出てくる。それでも、生活をともにして長いからか、やはり猫は特別なのだ。気づいたら人生の半分以上を猫と暮らしている。今は少し離れているから、暮らしていた、か。なにかあったわけではなく、自分が実家から出てきただけのことで、猫たちは変わらず元気に暮らしている。はず。私はというと、疲れ果て帰ってきても猫がいない生活に脳が錯覚を起こし、あらゆるものが猫に見えるようになったり、あまりにも猫の実体を見なさすぎてその存在を疑いはじめたりした。ここは異世界かもしれない。

猫と眠り、猫に起こされ、一日を終えたら猫を吸い、また猫と眠る。そうやって私の生活は成り立っていた。今はそのバランスを欠いている。人間と会話しない日が続いても平気だが、猫とおしゃべりしないことがこんなに苦痛だなんて思わなかったし、そんなにも猫とばかりおしゃべりしていたなんて思いもしなかった。なんとかしたい。

猫不在の空洞を埋めるため、お気に入りの猫マンガやらよそ様の猫様動画をありがたく愛でたりしてなんとかやりすごしている。様々な猫情報が日々供給されるいい時代だ。しかし一方通行な感じは否めない。それにこれも実体がないから、やはり猫とは人間の願望がつくり出した架空のいきものなのかもしれない。まだ疑っている。もうVRでもいいから早くそちらの世界に行きたい。

こうなってくると、もはや猫という文字さえもがんばればそのうち動き出すのではないか。猫、ねこ、ネコ…どう表記してもかわいい。いつもどれを使おうか迷う。それぞれがかわいい。猫はそっと眺めていたい感じがするし、ねこはとにかく柔らかそうで触れてみたい。ネコとは一緒に遊んだらとても楽しそう。かわいい。


安心安全の話題のはずが、そこはかとなく狂気がにじみ出てしまった気がする。私の頭の中といったらこんなものだ。事実なのでどうしようもない。

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