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取引先から事業承継について指摘されたことをきっかけに、事業承継計画を策定し、承継を果たした企業(中小企業白書2021年度版より)

本日は、「第2部 危機を乗り越える力」「第3章 事業承継を通じた企業の成長・発展とM&Aによる経営資源の有効活用」の続きです。
「第1節 事業承継を通じた企業の成長・発展」より、今回は「取引先から事業承継について指摘されたことをきっかけに、事業承継計画を策定し、承継を果たした企業」の事例について紹介します。
以下、「中小企業白書2021年度版」から引用します(以下特記なければ、画面キャプチャ含めて同じ)。
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取引先から事業承継について指摘されたことをきっかけに、事業承継計画を策定し、承継を果たした企業
所在地:兵庫県稲美町
従業員数:20名
資本金:1,000万円
事業内容:その他の生産用機械・同部分品製造業
株式会社山尾工作所

事業承継への懸念から取引停止の危機に
兵庫県稲美町の株式会社山尾工作所は、金型の設計・製造、金属部品のプレス加工を中心とした金属製品製造を営む企業である。

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1950年、現専務の山尾和子氏の父が創業。1990年、和子氏の夫である現会長の山尾輝勝氏が同社を引き継いだ。単発型金型によるプレス加工や、順送金型プレス加工と自動機による各種加工を組み合わせた自社開発装置を駆使し、複雑な金属加工を得意とする。主要取引先はバイクメーカーや給湯器メーカーである。輝勝氏の年齢が60代後半に入った2008年頃、主要取引先の担当者が来社し、事業承継の見通しについての質問を受けた。その時点では明確な回答は避け、前年に入社し製造現場の見習中だった子息、直孝氏を紹介するにとどまった。その後、担当者から来社の折、「輝勝氏が75歳頃に事業承継をできると良い。」と話されたが、日頃の業務に追われる中、体力の衰えを感じつつも、承継問題は先送りにしていた。2018年6月、ついに同取引先から早急に事業承継の計画書を提出し実行に移すよう強い要望があった。輝勝氏は、直孝氏にもう少しの期間、金型製作の技術習得に専念させたい思いもあったが、自身の年齢を考慮し、社長交代を決意した。しかし、何から手を付けるべきか思案していた。

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商工会の支援を受け、事業承継計画を策定
そんな折に、稲美町商工会主催の「事業承継セミナー」のチラシを見掛け、ちょうど良い機会と考え、7月の同セミナーに参加した。セミナーでは事業承継に向けて必要な基礎知識を学んだ。セミナー後、同商工会の専門家派遣制度を活用し、中小企業診断士、税理士、社会保険労務士と1回約2時間の面談を合計9回実施、事業承継計画に必要な自社の情報を整理した。この作業の中で、自社の強みや課題を洗い出し、自社の現状を客観的に評価、分析できたことも収穫であった。同年9月、5年間で事業承継を完了するための計画書をまとめ、10月に取引先へ提出。事業承継問題を指摘された取引先からは、「これからも頑張るように」と激励され、「完成度の高い事業承継計画書」と評価を受けた。

事業承継後、経営革新に取り組み増収へ
同年12月、輝勝氏が命に関わる重篤な病気にかかり、和子氏と直孝氏は動揺したが、計画書に従って事業承継の準備を粛々と進めていくことができた。2019年6月、直孝氏が社長に、病気から回復した輝勝氏が会長に就任し、事業承継を果たすことができた。承継後、直孝氏は小規模事業者持続化補助金を活用した販路拡大や新しい製造工程の開発に基づき経営革新計画の承認を得るなど、次々と新しい取組に挑戦した。その結果、2020年3月期決算では売上げが前期比15%増を達成。その後、新型コロナウイルス感染症の影響で一時業績が落ち込んだが、事業承継を機に金融機関や公的支援機関との情報交換を密に行う関係も構築されていたことで、早期に新型コロナウイルス対策の融資を受けることができた。「当社の事業は金型を何十年単位で保有し、取引先と末長くお付き合いしていく仕事なので、長期的視点で安定経営を目指す必要がある。今後は取引先に安心し満足してもらえる対応力を持った企業へと成長させていきたい。」と山尾直孝社長は語る。
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製品を作るためには、様々な協力会社の存在が必要不可欠です。
オンリーワンの技術を持った会社が無くなった時の影響は計り知れません。半導体不足による自動車生産の遅れは現在進行形です。
伍魚福でも最近ある商品の容器メーカーが廃業され、現在代替品をさがしているところです。
見つかったとしても、大幅なコストアップになるかもしれません。

大手企業の製造を支える金型の会社の事例ですが、取引先に指摘を受け、5年での事業承継計画を策定、円滑に引き継ぎができたそうです。
途中、先代が病に倒れた際も問題なく業務も続けることができたのもきちんと計画ができていたからです。
後継者が入社していても、事業承継には時間がかかります。

私が社長に就任した15年前、「TEAM GOGYOFUKU」というスローガンを掲げ、組織として仕事をする体制を目指してきました。
私は55歳。残された時間はあと10年と考えています。
経営品質をさらに高め、次の世代に会社を引き継いでいきたいと考えています。

最後までお読みいただきありがとうございました! 伍魚福の商品を見つけたら、是非手にとってみて下さい。社長のいうとおりになってないやないかーとか、使いづらいわー、とか率直なコメントをいただけるとうれしいです。 https://twitter.com/yamanaka_kan