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mixiが私にしてくれたすべてのこと


1986年生まれ。
私にとって、インターネットとはmixiだった。

「ほんとに大丈夫かなぁ」

「親に怒られたりしないかなぁ」

当時mixiは招待制で、18歳未満は参加されていた。その頃私は18歳だったけど、それでも不安だった。

招待してくれたのは地元の友人。友人に教えてもらいながら初めて登録したそこは、リアルの交友関係がそのまま反映されたような世界だった。

高校の同級生、中学の同級生、部活の先輩。みんな仮名だったから、地元の友達で集まった時に「このアカウント名ってあの子だったんだ!」なんて話で盛り上がった。

日記を投稿するときは、毎回ドキドキした。何回も推敲した。いつも、「この内容を投稿した私がどう見られるか」ばかり気にしていた。できれば「案外面白いんだな」と思われたかった。けど、そんなにうまくいくことはなく、私の日記はすぐに埋もれていった。数ヶ月経って見返して、なんだか恥ずかしくなってそっと消したりもした。

人のことは言えないけど、なかにはわりと痛い日記を投稿をする子もいた。「これって、明らかにあの子のことだよね」と分かるような、匂わせをする子も当時からいた。彼氏ができればのろけ話、別れたら感傷的な内容の日記が出た。そして、ある一定期間が過ぎたら、みんなそっと日記を消したりしていた。

あるとき、大学の同級生が、元カレを名指しにして、なじるような投稿をした。付き合ってる時にこんなことを言われた、こんなことをしていた。けっこうひどい内容だったけど、同じだけ「この子、そんなことネットに書くんだ」とびっくりした。

「大変だったね」
「別れて正解」

という女の子たちのコメントが続いた後に

「お前さ、そういうことmixiに書くなよ」
「一方的すぎるだろ」

とコメントした人が何人かいた。元カレ側の友人だった。

しばらくして、その日記はコメントごと消された。得られた共感と同じだけ、否定の言葉に何かを思ったんだと思う。その子はそれ以降、誰かを名指して否定しなくなった。そして何もなかったかのような平穏な毎日に戻って、検索しても出てこないような日記のことなんてみんなすぐに忘れたと思う。

人の悪口を書いた子もいた。読む相手のことを考えずに、自分の書きたい日記を書いた子もいた。それを読んで傷つき、傷つけもした。閉じられた世界だったから埋もれて消えていったけど、世界中がアクセスできる状況だったら、今だったら炎上してたかもな、と思う投稿もあった。

私たちはいろんな失敗をmixiでした。大人になった今なら、その全てが「少し考えれば、やるべきじゃなかった」当たり前のことだったと思う。だけど当時は、自ら失敗して、身近な友達の失敗を見て、初めてそんな当たり前を学んだのだ。私たちはmixiの閉じられた世界に守られながら、危うさを乗り越えて大人になった。

だから、何にも守られていない今のインターネットの世界は、すごく怖いと思う。

初めてインターネットの世界と繋がったあの時、何にも守ってもらえてなかったら、私たちは世界にどんなひどい言葉を投げただろうと思う。世界から投げられた必要以上の叱責や否定の言葉に、どれだけ傷ついたか分からない。そして、それが今の世界だと思う。

自分の子どもはまだ小さく、インターネットの世界を渡り歩くのは少し先だけど、じきにスタートする。その時、自分の持ち合わせるわずかな知識を教えるつもりではいるけれど、本当にこれでよかったんだっけ、と思う。今の子どもたちはとても立派だから、この世界を上手に渡っていくんだろうけど、そこに危うさはないかという問いに、私は答えられない。

私たちに、たくさんの小さな失敗をさせてくれたのはmixiだった。その一つ一つから、それぞれが何かを学んで大人になった。小さな失敗を知らずに世の中に出る怖さを、私たちは知ってる。

個人が気をつける、意識する。それだけに頼っている今のインターネットの世界を見るたび、mixiが私にしてくれた大人としての責任を放棄しているような気になる。本当にこれでよかったんだっけ。私は今でも子どものままだ。

#創作大賞2023


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