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アインシュタインの名言からの気づき(相対化のススメ)

■私の好きなアインシュタインの名言

皆さんも偉人の名言に感動したり、好きな言葉があると思います。私も好きな名言が沢山ありますが、アインシュタインのこの名言が大好きです。

「The problems that exist in the world today cannot be solved by the level of thinking that created them.」
(世の中に存在する問題は、その問題を作り出したときと同じ意識の次元では解決できない。)

この名言の理解を促すものとして、常に渋滞する交差点の問題解決に関する例があります。
渋滞する交差点を、自動車の運転者から見る視点(平面の二次元の視点)から眺めていただけでは、信号機を設置する、あるいは信号機の表示のタイミングを工夫する、といった案に止まり、抜本的な問題解決に中々つながりません。

そこで、そこに「高さ」の視点を加えた立体的な三次元の観点からみてみます。
すると、交差する場所に陸橋を新設する案、すなわち高さという新しい次元を付加した着想が出てきます。その結果、交差する箇所の渋滞を抜本的に解消することが可能になります。

このような例をみても、アインシュタインは、問題や事象に対峙した際のアプローチや心持ちに関する普遍的な真理を、端的かつ的確に捉えており、素晴らしいなぁ、と感じています。

そして、この名言は、ある問題や事象について、次元(視点)が変えることの必要性や大切さを示唆しています。
そこで、ある問題や事象と対峙した際、次元を変えるためには、どんな方法が有用でしょうか。その一つの手法として、今回お話をさせて頂く、「相対化」、すなわち問題や事象を作り出した次元と距離を置く方法があると考えています。

■そもそも「相対化」とは??

「相対」とは「他との関係や比較において成り立つさま」を意味しています。
今回の記事で「相対化」は、他の関係や比較ができる程度まで、ある事象や問題について客観視する、又は距離を置く、という意味で用いさせてもらいます。

■「相対化」のプロセス(「観る」、そして「味わう」)

この「相対化」のプロセスは、①問題や事象を観る②問題や事象を味わう、という2つに因数分解できると考えています。

最初の①「観る」は、発生している事象や問題の存在、さらにそれに対する感覚に気づくことです。
当たり前で、簡単なことだと感じられる方も多いと思いますが、個人的には、これが結構難しいと考えています。
人間は、特に問題やマイナスの感情が発生している場合、それに没入してしまい、そもそもそれ自体が観えなくなることがあります。これは、ある種の囚われや執着に由来するもので、囚われや執着があるがゆえに、その存在自体に気づきづらい場合があると感じています。

次の②「味わう」は、問題や事象を実際にどう感じているかを、感じるプロセスです。
その際、感じた感覚を良い、良くないなどと評価しないことが大切です。ただ、その感覚を、自分の身体のどこの部分が、どう感じているのか、まさに味わうという表現のとおり、ただ感じることのみを心掛けてみて下さい。

その結果、ふと気づくと、少し距離を置いた場所からその事象を捉えることが、自然とできているはずです。
(なお、「相対化」は、ケン・ウィルバーの「代謝(metabolize)」の作用とほぼ同一と考えています。)

■ 法・コンプライアンスを「相対化」する

この「相対化」できる対象について、少なくとも人間が作り出したもの(人工物)であれば、全て可能であると考えています。そもそも、ある問題が発生した場合、その事象を問題として設定する、あるいは捉えること自体が思考の産物である以上、人工物であり、相対化の対象になり得ます。

これは、法律やコンプライアンスに関する事項を考える際も、同様に当てはまります。
確かに法・コンプライアンスそれ自体は客観的なものであるように思われます。ただ、それと接した私たちが、どう解釈するかは、その時の意識や思考によって異なります。さらに言えば、そもそも法やコンプライアンスも人間の思考の産物でもあります。

第1回の記事でご紹介した、道路を往来する際は信号機の表示に従って下さい、という道路交通法の定めも、「相対化」することが可能です。「相対化」をすることで、それが所与のものとして盲目的に従わなければならない、という視点から、以下のような視点や思考が生じてくるはずです。
・ その定めの趣旨に照らして合目的に解釈する
・ その定めの趣旨や背景にある価値観以外の要素を考慮して解釈する
・ 趣旨やその他の価値観が充分かつ適切な反映されるような解釈をする。さらには立法の改正に向けた働きかけをしてみる

このような「相対化」により、法やコンプライアンスといったものも、道具として捉える視点が生まれ、がんじがらめの堅苦しいものであることを超えて、より柔らかいものとして、工夫し使いこなすことができると考えています。

■ 終わりに

「相対化」の効用は、問題や事象を客観視することで、それに対する気づきの量が多くなることです。それによって、様々な要素を考慮したり、より広く深い見地から問題や事象に対処できることになります。自分の気持ちの面でも、囚われや執着から解放されて少し楽になるはずです。
さらに、それを道具化することで、良きことや機会・チャンスとして捉える視点につながります。その結果、ポジティブに対処できようになり、自分のこれまでの限界や壁、悩みを、無視せず抱擁しながら、超えることができることにもつながります。
今回は法・コンプライアンスという例を挙げましたが、上記のとおり人工物であれば、全て「相対化」の対象になるはずです。その意味において「相対化」の手法は、法曹のみならず、あらゆる方々・分野にとって有用なものと言えます。

私自身、自分の最近考えていることを「相対化」する意味でも、今回の記事を書かせて頂きました。何かの参考になれば幸いです。