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「説明責任」と"accountability"の違い

こんにちは。公認会計士の山本です。

英語の "accountability" を日本語に訳すと「説明責任」になりますが、

二つの言葉は、かなり異なる意味で使われていると思います。

先ず、日本語の「説明責任」ですが、

よく聞くのは、政治家や官僚が不正を働いた(と思われる)時、他の政治家やメディア、国民が「説明責任を果たせ」という文脈で使うケースです。

一方、英語の "accountability" は、政治家や官僚に限らず、広く人が人に何かを委託する時、委託される側に求められるもので、

具体的には、委託されているモノゴトについて、常に説明できる状態を作り、その状態を維持している、というイメージです。

どこが違うか、と言えば、

日本語の「説明責任」が使われるのは、時間軸で考えると、問題が起こってからであり、「説明しろ」という体(てい)を取っていても、実際は、問題を起こした以上、逃げたり、隠れたりせず、否を認めて責任を取れ、という文脈で使われますが、

英語の "accountability" は、時間軸で言えば、委託開始時に始まり、委託関係が続いている間はずっと継続するものであり、委託期間中、ずっと「説明できる」状態を継続することにポイントが置かれている様に思います。

更に言えば、

英語の "accountability" は、委託開始の段階で、

何をすれば「説明できる」状態になるか、という点について、委託者、受託者の間で合意されるものであり、

委託期間中、その「説明できる」状態が構築、維持されているか、どのように確認するのか、という点についても、委託者、受託者の間で合意されるものということになります。

また、これは単に言葉の上で合意するだけでなく、委託期間中、受託者は「説明できる」状態を構築、維持し、委託者は、委託者自身が実施するか、第三者に依頼するかは別にして、「説明できる」状態が構築、維持されていることを確認するイメージなのですが、

日本語の「説明責任」という言葉は、そういうことではなく、問題が起こった時に突如、登場してくるため、

私などはいつも、「説明責任を果たせ」という言葉を聞くたびに、出来れば「説明責任を果たせ」ではなく、「素直に罪を認め、(世間に)迷惑を掛けたと謝罪しろ」と言って欲しいと思っています。

と言うのは、

何を説明したら「説明責任を果たした」ことになるのか、決められている訳でもなく、

双方が納得する、「説明」の是非を判定する方法も、明らかになっていない中、

それこそ、一体、何をどう「説明」して欲しくて「『説明責任を果たせ』と言っているのだろう?」と思えてしまうからなのですが。。。

我々の文化では、委託・受託の関係というのは、上の様なことを取り決めなくても、受託者は「人」として誠実に対応するのが当り前、という前提があるため、

若し、問題が起これば、それは、受託者が「人」として誠実に対応しなかったから、とうことになり、

受託者を「人」として糾弾する、

ということになるのだと思うのですが、

この辺は文化なので、それはそれで良いと思うのですが、

ただ、そこに「説明責任」という言葉は、使って欲しくないな、と、いつも思えてしまいます。

特に、

"accountability" の訳である「説明責任」が、こういうシチュエーションで使われてしまうと、"accountability" という有用な概念が、異なる意味で捉えられ、"accountability" の本来の意味が理解されなくなってしまうのでは、と思えますので。。。

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