見出し画像

文章表現集(R3/9/13)

✅月下美人
どうやら今日は夜に嫌われていて、酷く寝苦しかった。三度目の悪夢で飛び起きた僕は、無性に外の空気が吸いたくなって窓を開ける。
「はぁ」
さっきの悪夢を上書きするように吸い込んだ空気の中、あでやかな香りが混じっているのに気がついた。
月下美人が咲いている。
そうか、君に会わせてくれたのか。

✅青い画材
…8月、湘南海岸公園での待ち合わせに10分遅刻したあの日。「こんな日に遅刻なんて!」息を弾ませながら高台の広場に辿り着くと、雲ひとつない青空の下「お気に入りなの」とみせてくれたあの真っ白いワンピースを着た君が「ふふ、貴方らしいね」と笑う。
それ以来、彼女を引き立たせる青色の絵具が一番最初になくなるのだ。

✅母なる海
窓から吹き込む風はまだ潮の香りを孕んで、前髪を撫でる。日焼けで火照った肌を冷やしてくれるようで心地が良い。
「ふわぁ〜ぁ」大きなアクビをひとつ。
父の運転はとても穏やかで、この眠気に身を委ねるには好都合だった。
母のそれではこうはいくまい。
瞼が重くなって自然に閉じると身体がユラユラ波に揺られている感覚がして、他愛もない会話をする母の声が聞こえてくる。
僕は大きな安心感と既視感の胎内(なか)に漂い、眠りについた。

✅月夜
「いつから夜が怖くなくなったんだろう」
屋上へと向かう階段を登りながら、少し感傷的になってそんなことを考えていた。

ギィと鳴る扉を開け、夜と対面すると部屋の中なんかよりずっと明るいことに気づく。

「あぁ、今日は満月か。」

またたく夜景の上にポッカリと浮かぶ満月が独りぽっちの僕を優しく照らす。夜を克服した日なんて覚えていないけれど、その日の僕はきっと今と同じ気持ちだったに違いない。

✅独りの詩
ひとり月を眺めていると、
筆を取りたくて堪らなくなる。
この静かな感動を共に愛でてくれる、
そんな人が隣に居ないからだろうか。

✅小さな死
「まだ眠りたくない」
毎晩、僕は懲りずに夜更かしをする。そのくせ朝になると「まだ起きたくない」だのとぬかす。
実に怠惰だ。
こんなに怠惰な生活をしていたら、きっと死ぬときは何十倍も強い気持ちで「まだ死にたくない」なんて願うに決まっている。
だとすると、母親のお腹にいたときには
「まだ産まれたくない」と願っていたのだろうか。

✅痛み
言いたい事も言えない、天邪鬼でどうしようもない自分に、堪らなく腹を立てた内なる自分が、その外の殻の自分を殺そうとして、心臓を握り潰す。この胸の痛みは、愛おしさでも恋しさでもなく、そういった自分への怒りなのだ。

✅花束
猫の死体に美しさを感じるのは間違っているのだろうか。
散歩をしていると道の傍に猫の死体が在った。派手に轢かれたようで、道路にはツヤツヤとしたハラワタが散らばっている。真っ白の毛皮は赤の水玉模様に染まり、飛び出した眼球はまだ深いサファイア色をしている。
きっと、もう少し時間が経てば光を失い、濁った色の肉塊になってしまうのだろう。そんな刹那の輝きに、花束のような儚い美しさを感じてしまうのだ。

✅知
知ることは豊かになることだ。
そこんところをジッチャはよく分かっている。例えば、いつもの散歩道に何気なく生えている小さな雑草の名。覚えてもなんの役にも立たないだろうに、ジッチャは「6月には綺麗な花が咲くんだ」と嬉しそうに語る。
この貧相な雑草がジッチャの目にはきっとダイヤの原石みたいに映っているのだろう。
知ることは豊かになることだ。

✅バターを塗ったパンって美味いよね
カリッぎゅわ…
こんがりと焼けたパンを頬張る。芳ばしい小麦の香が鼻に抜けて、染み込んだバターが溢れ出してくる。うっかりして少し焦がしてしまったその苦味すら、ちょっとしたアクセントになっている気がして愛おしい。

✅卵
徐に白い卵を手に取る。
卵の柔らかな曲線と、捲られた袖口から覗く血管の浮いたゴツゴツした腕が、対比になって色気を醸す。
彼はキッチンの角をコンコンと打つと、素早く頭の上にそれを運び、片手で割った。
まるで小さなお菓子でもつまむような所作だ。
そしてゴクリと喉が鳴って、親指で唇を拭うのだ。

✅幸福
「幸福とは何か」画面に並べられた無機質な文字列が問う。今や大学は感染拡大防止の名目でデータのやり取り機関に成り下がり、膨大なデータたちに押し出されたこの課題は提出期限を2日過ぎていた。
「幸福ねぇ…。」
ぽつりと呟き、僕は思考を巡らせてみる。
勿論、立派なお題目は思いつかない。
手持ち無沙汰になって、指でパソコンをツゥと撫でる。MacBookは冬を纏っていて、指の先がちべたくなる。僕は指先にいた無邪気な冬の存在を嬉しく思い、もう一度パソコンを撫でると、ゆっくりとキーボードを叩き始めた。

✅静寂
祖母が息を引き取った次の日、僕は産まれたのだった。水曜、昼さがり。僕が惰眠を貪ると、それは墓場のような揺りかごのような深い静けさの味がした。

✅あの夏と死にたかった
「残念ですが…」
余命2ヶ月。僕に残された時間はそれだけらしい。
季節は初夏、例年より早く梅雨明けが発表された日本列島は、もう夏真っ盛りという様相をしている。
縁側に座り、見上げると、突き抜けるような青にベタ塗りの入道雲がデカデカと浮かんで、現実味の無さに拍車をかける。
「僕はこの夏と一緒に死ぬのか。」
特に受け取り手もいない呟きは、気の早い蝉たちの鳴き声に混じって溶けた。

✅若木と唐変木
彼女の横顔はとても美しい。このダラケきった空気が漂う教室、僕の隣の席で真剣に授業を受ける彼女の横顔を、僕は眺め、常々と感じていた。長く艶やかなまつ毛や、その潤いに光が反射し、弾力性に富んでいるであろう唇は、僕に美術品を観たときの感嘆に似た感情を呼び起こすのだ。
彼女の魅力は顔だけではない。彼女の所作はしなやかさを保ちつつ決して折れることのない若木だ。長い授業に耐えかね、腰や首を曲げた楽な姿勢をとる有象無象の雑草の中、しゃんと背筋を伸ばし座る彼女。僕の目には曇天の切れ間から注ぐ太陽の光が彼女を照らして見えた。
今日も彼女は僕の隣の席に座ると、風鈴のような繊細ながらもよく通る声で僕に話しかける。途端に心がフワフワと宙に浮かび、日向ぼっこのときの心地よい熱が僕の身体の奥のところから湧いてくる。彼女の木漏れ日の気まぐれに、僕はただ心を弾ませていた。

✅泡沫の恋
今となっては君の名前も、声も、顔ですら思い出せない。
今朝、僕は恋をした。夢の中の女の子にだ。騒がしい教室、彼女は僕の隣に座っていて、他愛もない話をしてはころころと笑う。
そこには、昔から知り合いだったような居心地の良さと、これ以上の関係は望まないからこの時がずっと続いて欲しいという願いが散らばっていた。

目を覚ますと、いつもの天井と独りぼっちの僕がいた。胸には日向ぼっこをしたときのような心地よい熱が残っていて、同時にもう二度と会えることはないのだという大きな絶望感が心臓をキュッと絞めてくる。
虚空に投げ出された彼女への想いはバラバラに砕けて無かったことになってしまうのかもしれない。
確かに彼女の存在は夢幻だった。
しかし、僕の熱情は本物だ。

✅殺人の味
サラダを食べ終えた僕はメインディッシュである肉料理に手を伸ばした。少々焼き過ぎてしまったもののトマトソースがよく絡んでいて味はそこそこだった。TVはまだ殺人事件を伝えている。スープとサラダを食べ終えるのに既に20分かかっていることを考えれば、かなりの枠をその事件に費やしていることになるが、未だにニュースが終わる気配はない。カメラが殺人現場を映す。地面には血がベットリと塗られている。刃渡り18㎝もある包丁で何人も斬り付けられたらしい。「物騒だなぁ」僕は話し相手なんていないのに気持ちを吐露していた。もう一度地面の血溜まりが映し出される。僕は犯人の視点で人の身体を切り裂く様子を想像すると、ある好奇心が湧いていることに気がついた。「…いったいどんな感触なんだろう。」そんなことを頭で反芻させながら、メインディッシュの肉をトマトソースにたっぷり絡めた後、口に運んだ。舌は味を伝えるのを止め、リアルな肉の食感だけが僕を包んだ。

✅カラフル
僕らはカラフルだ。
しかし其の実、この世で最も暗く冷たいものを心に飼っていた。
「ほら、もうこんなに黒が混ざっちゃった」彼女のパステルグリーンの笑顔を、その笑顔だけを、僕はただみつめていた。

✅ゲーム部の夜
一昔前の人間に言わせれば、別々の生活を送り顔もろくにみたことのない彼らの関係性は〝他人〟に違いない。

彼らを繋ぐのは通話だったり趣味のグループといった、気持ちが離れれば容易に断ち切れるような、細く脆い線。

今日も彼らは夜の静けさと毛布に包まれながら生産性なく互いに認めあったり意見をぶつけたりする。「これがトモダチとかセイシュンなのかも知れない」青年Aは言葉が行き交うのを眺めながらそう思ったが、口にはしなかった。Aにはその青くて甘ったるい命題を言葉にしようとする自分が幼稚に思えたのだ。

✅純
人は元来、愚かで強欲だ。それゆえに、純粋で素直な彼女は、人一倍愚かで、強欲で、美しかった。我儘を言う彼女の瞳には一点の曇りもなく、ただ欲したモノがその手の中にあることを望んでいる。
布団の外のひどく冷たい空気も、リビングに入った時の不完全燃焼の灯油のにおいも、冬の濁った低い空さえも愛おしいのは、君がそれを欲したからなのだろう。

✅ Eye to アイ
ふと目線を感じて顔を上げると、柔らかな表情で微笑む君とバチリと目が合ってしまった。
僕は人と目を合わせるのが苦手なタチで「ちゃんと目を見て話しなさい」と怒られたことも一度や二度ではない。きっと今だって君以外の誰かだったら目を逸らしただろう。
けれども彼女の微笑みには魔法がかかっていて、僕の抱える不安も、劣等感も、焦りも、瞬く間に消し去ってしまったのだ。
彼女は何も喋らずにただ微笑む。
三白眼気味の大きな瞳と通った鼻筋、思わず触れたくなるプルンとした唇。透明感のあるロングの黒髪はその一本一本まで艶めいていて、彼女を形容するには「美人」という言葉が相応しかった。それでいて仄かなあどけなさが親近感を持たせてくれるのだ。
気がつけば僕は微笑み返していた。
互いに見つめ合い、微笑む。先程までの日常が一転して、まるで世界に僕ら2人きりという気さえしてくる。
言葉を交わさずとも全てが分かった気になって、大きな幸福感が押し寄せる。
今までに感じたことのない気持ちだ。この感情を現す言葉を探したが、それを結論付けるには、僕はまだ幼すぎた。

✅サンクチュアリ
彼女の後ろ姿が好きだ。
纏めきれなかったのであろう幾許かの黒く柔らかな髪が重力に撓み、その白く透明なうなじを引き立てる。

✅無題
あの子に誕生日プレゼントを貰った。
「チョコが好きだと聞いたので…」
真夏にチョコを選んでしまうのも、なんだか彼女らしくて愛おしかった。
熱を上げる僕、とろけたチョコレート。

✅森を抜けて
道の先を見ると木々の壁が二つに裂けて間からギラギラした街がこちらを覗いていた。「ふう…」
大きく息を吐いて、僕を包み込む木々たちを改めて見つめる。ああ、森は静かだ。森自体が大きな一つの生き物のように、樹々は流れに逆らわず静かに呼吸をしている。
「嫌な思いをするくらいなら森でずっと独りでいたい。」なんて零すくらいには僕は独りが好きだ。
その一方で、街は少し五月蝿かった。人もモノも自分を主張するようにギラギラしているし、希薄な人間関係たちが一人である僕をせせら笑っているような気がする。
かつて光に誘われる虫みたいにそのギラギラに近づいてみたこともあったが、得られたのは刹那的快楽と人間不信というしっぺ返しだった。
街が近づく。気を引き締めるように顔に力を入れると、心の静けさに街のノイズが混ざらぬようにイヤフォンをした。
もう森を抜ける。

✅RUN AWAY
前に倒した上半身を追いかけるように、私の右足が力強く一歩目を踏み出す。視界には集中線がかかり、友達と喋るセーラー服や既に疲れた顔をしたスーツ、絵を描き終えた後のパレットみたいな街を置き去りにしてゆく。
身体が、走りが、リズムになる。
革靴の底が刻む。高く乾いた音だ。
心音で奏でる。低く鳴り響く。
私はいま音になっている。

✅ラブレター
僕は公園のベンチで本を読んでいた。社会の喧騒で曇った双眸は、この色めく秋の空をモノクロームに変えていた。無味乾燥な僕の世界。僕は無機質に並べられた言葉の列を直線的に目で追うと、その延長線上に極めて異質なものを見つけたのだ。見つけたものは〝葉〟
他の人が見れば「なんてことない普通の葉だ」というであろうが、僕にとっては訳が違う。白黒の世界で、この葉だけは僕に彩りを与えてくれる。葉はどこかで見た宝石の紅色をしていて、よろずの葉の中でも最も瑞々しく、それでいて散り際の侘しさをも感じさせてくれるのだ。

…数年後、春の訪れを告げる花々を一望できるカフェで僕は小説を書いていた。あの日以来澄んだ僕の眼は、色めく春の空をありありと捉えていた。千紫万紅な僕の世界。僕は踊るようにリズミカルに並ぶ言葉たちを目で追うと、この文体を何処かで見たことがある、と気がついた。
「あぁ、あの日みた言の葉は君だったんだね。」
僕はそっとペンを置くと、お気に入りの生ハムペペロンチーノに口をつけた。

✅無題
感情と言葉は対極のところにあるのかもしれない。けれども僕らは抽象的な感情を共有すべく具体的な言葉に変換する必要がある。それだのに僕の感情を正確に表す言葉は存在しないし、言葉にすれば目の前に広がる景色や匂いや音が記号化されて味気ないものになってしまう気がする。

✅青春
それはまるで氷で創られた精巧な花だ。葉脈には密かに水が流れ、気孔からは微かに呼吸音が聴こえる。ほんの少し触れてしまえば直ちにパラパラと崩れてしまいそうな繊細さと、永遠に存在し続けて欲しいという願い叶わず溶けて無くなってしまう儚さを併せ持つ。その瞬間の表情や情景はもちろん、複雑にうねり流れる小川のような心情、静かな風がうぶ毛をそよがせ、若草がほのかに香る空気を纏う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?