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鷗外さんの「小倉日記」⑲ベルツ博士

小倉城下町さんぽ・鷗外さんの「小倉日記」⑲ベルツ博士

(明治三十二年七月)
二十八日。午前山根予等を師團司令部に集へて、參謀長會議の結果を報道す。
福嶋安正の演説する所の列國均勢の現況の如きは、耳を傾くるに足るものあり。
午後六時ベルツ氏を停車場に迎へて、常盤橋東の銭屋に投宿せしむ。
夜又伴ひて井上中将の家に至る。夫人と長子との病を診せしめんが爲めなり。
二十九日。朝ベルツ氏を伴ひて第十四聯隊に至り、 午餐を師團司令部に供す。
是日予も始めて此聯隊營に入りたり。
夜ベルツ氏來り訪ふ。談話中謂ふ。 加藤弘之は偏頗なりと雖、定見あり、福澤諭吉はその立言に特操なしと。又謂ふ。羅馬字會の不自然なるは固より取るに足らずと雖、日本諺文の複音字は朝鮮諺文の單音字にだに若かず、何故に早く洋字を取りて以て以呂波に代へざる、漢字を雜へ用ゐんは必ずしも悪からずと。
此の日家書至る。曰く二十二日於蒐右胸膜炎に罹ると。

28日、第12師団司令部で山根参謀から呼ばれ、参謀長会議での福島(日記では嶋)安正の演説・報告を聞きました。
福島安正とは長野県出身、父は松本藩士。大学南校(東京帝国大学)で学んだ後、明治7年陸軍省に出仕。英・独・仏・露・中国語に堪能な超国際派で、情報将校として欧州・アジア各地の踏査を重ねました。
何と言っても有名なのは、世界を驚かせた「シベリア単騎横断」です。

ドイツ駐在武官だった福島少佐は明治25年(1892年)、単騎でのユーラシア大陸単独横断を計画し、ベルリンからポーランド、ロシア、外蒙古、満州経由で1年4か月かけて、帝政ロシアによるシベリア鉄道建設などの情報収集をし日本に帰国しました。

福島安正参謀

福島安正は日清戦争時は第1軍参謀。のち、参謀本部第3部長、第2部長、臨時派遣司令官(北清事変)、満洲軍参謀・大本営参謀(日露戦争)、参謀本部次長等を歴任。40年男爵。大正3(1914)年大将に昇進しました。
そんな国際派参謀の日露戦争前の情勢報告ですから、説得力があったのでしょう。「耳を傾ける価値がある」と書いています。

29日、旧師のベルツ博士を小倉駅に迎えに行き常盤橋そばの旅館銭屋に案内しました。
銭屋は旧藩時代からの宿で、佐賀藩が宿泊する本陣でした。

宝町にあった銭屋


エルヴィン・フォン・ベルツ博士(1849~1913)は、南ドイツ生まれ、ライプツィヒ大学医学部を卒業して、明治9年(1876)6月、東京医学校(現在の東京大学医学部)の教授として招聘され、生理学を講義し、内科学・病理学・産婦人科学・精神医学なども担当、いわゆる「お雇い外国人」です。
また、温泉の効用を医学的に活用することを広く推奨し、伊香保や熱海など「温泉場」の整備を提案、約30年にわたって東京に留まり、医学研究と教育に貢献しました。

伊香保温泉にあるベルツ像

明治38年(1905)にドイツに帰国し、8年後の1913年8月にシュツットガルトで没しています。
資料は、ベルツの雇用に関する書類です。資料が含まれる「公文録」は、「公文附属の図」とともに重要文化財に指定されています。

ベルツの雇用に関する書類

日本近代医学の父として知られるようになったベルツは、診療においても数多くの患者が「ベルツを神のように慕い」という記録が残り、さらには皇太子時代の大正天皇の侍医を務め、そのほかにも皇族・華族・重臣顕官を診察するほどの信頼を得ていました。
ベルツ博士は政財界の重要人物とも親交があったので、当時の文化人との交流があり、元東大総長・加藤弘之や福沢諭吉についても詳しかったのでしょうね。
人物評については、詳しくないので論評を避けます。

加藤弘之・東京帝国大学総長

明治以来、日本語の表記をローマ字にしようという運動が何度も起こりました。
羅馬(ローマ)字會というのは、推進する団体です。
現在でもローマ字の表記は、英語の発音に近い「ヘボン式」と50音の仕組みに沿った「訓令式」などがあり、混在しています。
羅馬字會もその方式の違いなどで、分裂したようです。

ベルツ博士は在職25年記念会の後に、教え子であり卒業後にも交流のあった鴎外さんに講演の別刷りを送付していました。
鴎外さんはそれを読み、西洋医学の理念や精神文化も吸収していきました。
ベルツ博士は日本の近代医学に不可欠な存在となりました。
鷗外さんの旧師で、名医であるベルツ博士が小倉に来たのです。
井上師団長は夫人と息子さんが病気で悩んでいましたので、ベルツ博士に診てもらいました。
この日、22日に息子の於蒐さんが右胸膜炎に罹ったという手紙が来ました。
於蒐さんは、別れた赤松登志子さんとの子で、鷗外さんはいつも気にかけていました。

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