幽霊と人間と商売と。

『幽霊はここにいる』の観劇後、1ヶ月が経つがいまだに奇妙な高揚感を忘れられないでいるのは、久しぶりに『ハマった』作品だったからだろう、と思っている。
何もかもが自分の趣向にハマっているのだ。
戯曲の内容、話の展開、台詞の言い回しといった物語自体ももちろんそうだが、砂を使った演出、音楽、セットという舞台的側面、何より『死生観』や『戦争』『資本主義』という小難しいともとれるテーマ。
30年も生きていない私が語るには、きっとまだ早いそれを、「難しかったね」で片付けるのは、観劇した自身を許せないので、支離滅裂になるだろうが綴ってみることにする。(あくまで、私自身が許せないだけの話であって、周りの人がどうという話ではないことをあらかじめ述べておくことにする。)

大庭三吉という男

実態のないものを売るのは、現代でいうところのサービス業、第三次産業にあたるわけだが、その究極を突き詰めたのが大庭と深川がやりはじめた「幽霊の身元探し」ではないだろうか。
大庭の台詞の中に、「値打ちは他人がいくら払ってくれるかで決まってしまう」とあるが、フィクション作品の中でこんな打算的な台詞を聞けたことにある種の感動を覚えた。綺麗事なんてこれっぽちもない、人間臭さMAXの台詞。大庭という人間は微塵もかっこよくないし、見方によっては深川の純粋さを利用している悪い奴、に見えるはずなのに、悪役の印象はまるでない。それはきっと、大庭の考え方は人間誰しもが持ち合わせている生きていくための術でしかなくて、彼の言っていることに大なり小なり共感できるからこそなのかもしれない。
大庭は「幽霊の身元探し」という(詐欺まがいの)商売で大成功するわけだが、彼もまた、「幽霊」という実態のないものに振り回され続け、物語が閉じても尚、「幽霊」に縋って生きていくのだと思うと、この劇中でどの登場人物よりも人間らしい印象が強くあらわれているのではないだろうか。

深川と吉田

深川啓介は、今回の作中で唯一衣装の変化がなかった。これが彼が『戦争』に取り残されている印象を我々に与える。作中で最も人間らしいのが大葉なのだとしたら、最も人間味がある種なかったのが深川だったのではないだろうか。
謎の頭痛に冒されながら、幽霊の友人の望みを叶えるべく奔走する深川はどこまでが本気で、どこまでが演技なのか、他の登場人物も疑い深くなるほどだった。幽霊後援会の発足式の原稿読みのシーンは、深川ではなく「幽霊」が深川の体を乗っ取ったかのような印象を受けた。まるで人が変わったかのような口調に驚いたことを覚えているが、あれがのちに出てくる「吉田」の素なのだろうと思ったら合点がいったし、本物の深川の登場で劇中ところどころ垣間見えるちぐはぐが全て納得できた。深川が鏡を見られなかったのも、生家に赴いたのに中に入れてもらえなかったことも、全て。そうなってしまった要因が『戦争』であり、それによって深川だけが時代に取り残されてしまう。その時代錯誤を解消したのも、「幽霊」の存在だという点がなんとも皮肉な話だと感じた。

作品における死生観

今回の演出を手掛けた稲葉賀恵さんが、八嶋智人さんのラジオに出演された際に「『死生観』に偏ったお芝居を選びがち」「死んだ人が舞台上に乗るお芝居を手がけていることが多い」(意訳です。詳しい話の流れ等は八嶋さんのラジオを聴いてください!)とお話しされていたのを聴いて、ハッとしたのだ。舞台上には見ることはなかったけど、確かに終始「幽霊」は存在していて、自分はそれを何も思わずに見ていたわけで。あの世界は紛い物かもしれなくとも「生者」と「死者」が同じ目線に立っている『奇妙な死生観』が成立していたのだ。
その『奇妙な死生観』が露骨にあらわれているのが、実験の一環であると身投げする者が出てくるシーンである。大庭はこの身投げを面白いと形容し、鳥居兄弟やまる竹に対してさらなる事業の話を持ちかける。新聞記者の箱山の非難に耳を傾けることもしない。
この大庭の行動が間違っている、正しいという話をしたいのではない。
死んだ『幽霊』も生きた『人間』と同じ目線に立たされているから、保険もかけれるし、ドレスコードも必要だろう。集会する場所だっている。
大庭をはじめとする商人の意見は至極『普通』のことなのだ。
この死生観が作品の中には存在していて、もしかすると、現実にも存在しうる価値観なのだ。
人の生死と資本主義経済が天秤にかけられる世界をここまで、重たすぎずに描けることの凄さは圧巻だと感じたのだ。

女性の在り方

1950年代というのは、女性の社会進出が今ほど進んでいない時代だと認識している。大学進学率は12.7%、就職先の多くは生産工程従業者だったと言われており、今の女性の社会に対する在り方とは大きく異なっていた。
「女性は家事をやっていれば良い」という家父長制特有の考え方は戦後間も無い時分にはまだ根強く残っていただろうし、作品の中でも大庭の、妻に対する発言にも、その片鱗が窺い知る事ができる。大庭の妻も大庭に対して強く物が言えないのも、力関係の影響によるものだろう。
だからこそ、ミサコや終盤に出てくるモデル嬢の台詞は新鮮に聞こえるのだ。1950年代に描かれたとは思えないくらい彼女らの言葉には力がある。彼女らが話の展開を大きく動かす場面がある。
それを描いてくれた安部公房に最大の感謝を表したい。

演出の話

と、まあここまでは作品の内容のお話をそれはそれは堅苦しく書いたのですが、ここからは見た演劇「幽霊はここにいる」の話をしようと思います。(多分、上ほど硬くならない、はず……)

今回お芝居を見て「うわ!好き!!!」ってなったのが最初のカーテンに映る影の演出。
作中に何度か影を映した演出が出てくるのですが、このアナログ感がとてもとても好きです。
傘を差した市民が街を行き交う影がすごく幻想的で、どんな舞台装置が待っているのだろうか、というワクワク感と、何か恐ろしいものを目にするのではないか、というドキドキ感でいっぱいでした。
そのカーテンが開かれると、一面の砂。
深川くんの差している傘にだけ、落ちてくる砂が雨を模していることが、砂=水の方程式を成立させてくれるから、それ以降の砂の使い方も何の違和感もなく見られたわけです。(長靴の件とか、水筒の件とか。)

そしてもう一つ好きだなあ、と思ったのが、舞台セットの変化の仕方。
まさか、お芝居をされている演者さんが(強引に?)店の門動かすとか、誰が思いますか?????
机の移動の仕方は、毎回日替わりでコントが始まるし、なんか上手くセットが立ってくれないと無理矢理立たせようとしてるし、そこがすごく面白くて、笑かされました。
舞台が大きく移動する演目も大好きですが、個人的にはちょっとメタっぽい(と言って良いのだろうか)舞台装置移動にニマニマしていました。
セットの変化の仕方でもう一つ触れる点とすれば、突如出てくる『赤い床』。
レッドカーペットにも見えるし、血溜まりにも見える。幽霊後援会のモデルたちはその上を闊歩するけど、深川はそこを怯えたように足早に通り過ぎようとする。
赤というのは、いろんなものを想起させるけど、両極端の印象を抱かされたのも見ものだったと感じました。

いろんな方がお話しされていますが、最後のカーテンに赤いライトが照らされる場面は元々の戯曲にありません。あの場面がいまだに頭から離れないほどに衝撃的でした。それまで一切なかったおどろおどろしさを凝縮したような情景と、けたたましい音に息が詰まりました。
友人と観劇したのですが、あのシーンはなんだったんだろうね、という話になって。
もしかしたら、深川くんが劇中でお話してる、『海の向こう側』なのかもしれないし。
もしかしたら、深川くんの過去なのかもしれないし。
あの演出があって、そういえば戦争の話だったんだと、改めて認識できた感覚がありました。

パンフレットの話

映画や、朗読劇、コンサートなどさまざまな作品のパンフレットを読むのが好きでついつい買ってしまうんですが、私が今まで出会った中で今回の「幽霊はここにいる」のパンフレットが1番好きだと思いました。
終演後に、出てらっしゃる役者さんのインタビューやら何やらを読み進めていったときに、いろんなシーンを思い出して、新しく解釈して、感動する!という体験をたくさんさせてもらいました。
その中で印象深かったのが、鳥居兄弟の弟役を演じられた、堀部圭亮さんのインタビュー。
「誰も負けていない、敗者のいない物語でもあるんです。」
この一文が、『幽霊はここにいる』が「喜劇」であることを印象づけてくれました。
大庭も、深川も、箱山も、市民も。誰1人不幸にならない。あんなにも重たいテーマを提げているというのに、誰も悪役にならない。素敵な作品に巡り会えたことを再確認できました。
パンフレットは、見に行かれた方は隅から隅まで是非読んでほしいです。新たな発見もたくさんあるし、この作品を100億倍楽しめました、私は。

演者の皆さんの話

大半の方がTwitterから飛んで下さっていると思うので、言うまでもありませんが、『自分が推しているアイドルが主演を務める舞台』を観劇しに行ったわけです。恥ずかしい話ですが、舞台に造詣が深いわけでも、ましてや安部公房の作品を読んでいるわけでもありません。アイドル神山智洋が主演を務める舞台!行く行く!みたいな気持ちで見に行きました。(勿論悪いことではないですし、堂々と行ってくるぜ!!!!の気持ちでパル劇には向かいました。)

観劇後、3日と経たないうちに、『幽霊はここにいる』が掲載されている安部公房全集をAmazonでポチっていました。
何故か。
3時間もある舞台の台詞を一言一句覚えるのは無理なので全文もう一度読みたい!の気持ちが非常に、非常に!!!!強く起こってしまったのです。6000円?払ったるわ!みたいな気持ちでした笑笑

『幽霊はここにいる』の主人公はあの舞台に立たれていた全ての登場人物で、目がいくらあっても足りないんです。気づいたら、大庭さんが高らかに喋ってるけど、対岸では、ミサコさんと深川くんが何かしてるし、そうかと思えば箱山さんがこそこそしてて。その後ろで市民の皆さんがわちゃわちゃしてて。目が足りない!!!!どこ見たら良いんだ!?の時間が大半でした。それぐらい没入感が凄かったこと、皆さんのお芝居の細やかさが綺麗だったこと。何よりすごく楽しそうな世界が舞台上にはあって、それもまた素敵に見えました。

神ちゃんのお芝居を見るのは、1年ぶり。(本当に丁度1年でした。)
LUNGSの時も、圧倒されましたが、今回もまた圧倒されっぱなしでした。
私が神山さんを推してる理由の一つに『神ちゃんのお芝居が好き』という点があります。
ビジュアルは神山さんなのに、そこには微塵も『神山智洋』を感じることができない憑依型のお芝居が凄く好きです。今回もまた、その一面を見させていただきました。
例えば、幽霊後援会の式典で友人である『幽霊』の手紙を代読するシーン。
普段バラエティや動画サイトで見ることのない、荒々しい口調と、これでもかという程の大きさの声に思わずびっくりしてしまったし、
後半、深川くんが自分の置かれている状況を理解できない描写がありますが、そこのシーンは本当に状況下に怯えているように見えて、ある種ゾッとしたことを覚えています。
今年も見ることができたこと、一ファンとして本当に嬉しく思います。戸籍の歌は頭から離れません。仕事中に口ずさみそう。どうしてくれんだ。有難う御座います(歓喜)

同じくらい目を奪われたのは、大庭役を演じられた八嶋智人さんのお芝居でした。
八嶋さんのお声は決して重厚感のある、低い声ではないのですが奥さんや、鳥居兄弟、まる竹さんに圧力をかける台詞の威圧感が凄まじかったのです。かと思えば、急におちゃらけて、へらへらする。(褒めています)
彼の口車に乗せられて(もしかすると法外な)商売に足を突っ込んでしまうのは、大庭が自分の話し方の武器をかなりよくわかっていて、立ち回りを理解していて、頭の良い人だからだと印象づけてもらえました。
大庭が根っからの商売人であることをすぐ理解できたのは八嶋さんのお芝居のお陰なのだと思います。いい人じゃないけど、憎めないと思ってしまいました。
八嶋さんのアドリブが時たま『神ちゃん』を引き出してたのも笑ってしまいました。
ドラマで拝見したことのある役者さんの生のお芝居を、まさか見ることができるとは微塵も思っていなかったので、本当に嬉しかったです。

個人的にまりゑさんのお芝居がとても好きでした。あんなに美人でスタイルめちゃめちゃ良い方なのに、声がめっちゃ可愛くてギャップ!ってなったのですが、歌が上手い上に全然違う声で、一瞬でうわぁ!すきぃ!ってなりました(語彙力)
女性の可愛らしい声も勿論好きなのですが、少し低めの重みのある女性の声が大好きなのでまりゑさんの歌声がまさにどストライクだったのです。あれは惚れるし、みんな掌の上で転がされちゃうよね、、、、。
モデル嬢が実は誰よりも上手な策士なところが大好きです。

おわりに

もっと掘りたかったはずなのに、いかんせん記憶力が乏しすぎてこれ以上は書けなさそう笑笑

何が言いたかったかというと、総じて最高だったのです。どの役者さんのお芝居も、衣装も、どのシーンの演出も、音楽も。
それから、PARCO劇場のスタッフさんの対応もかなり丁寧でした。
休憩時間の誘導や、パンフレットの販売時の対応など一つ一つが本当に丁寧で親切だったように思えました。有難う御座います。

『幽霊はここにいる』が書かれたのは1950年代。今から70年も昔のことです。私は今回のお芝居を見た時に、何一つ古い価値観だと思ったものはありませんでした。勿論、薄れている価値観はたくさんあるかもしれません。家父長制の意識の強さ、資本主義の考え方、労働者や思想の問題、今以上に強烈な考え方だと思うことはあれど、理解できないことは何一つなかったのです。現代社会にだって、「北浜市」はごろごろ存在しているような気さえします。今回この作品に出会えて、自分の中の価値観や思考が増えたことすら、安部公房さんの掌中だったのかもしれません。
「モノの価値は、他人がいくら払うかで決まる」
私は、この舞台にチケット代を払って良かったと心底思っているし、むしろもう少し出してもいいと思っているほどですから。

最後になりますが、改めて千穐楽を終えられたこと、本当におめでとうございます。
このご時世の中、作品以外のことにも気を配らなければいけない中での公演本当にお疲れ様でした。キャストの皆さんは勿論のこと、スタッフさん、運営の皆さん、観劇できる環境を作っていただき本当に有難う御座いました。2022年の現場納めがこの作品で本当に良かったです。

舞台を観に行かせていただくたびに、舞台観劇が趣味になりそうで、ビクビクが半分、ワクワクが半分でばちばちにバトっています。次はどんな作品に出会えるのか、楽しみで仕方ありません。

追記:書こうと思っていたのに!何で忘れてたの私バカバカ!!!!
『幽霊はここにいる』の演出を担当された稲葉賀恵さんが読売演劇大賞の演出家賞にノミネートされました。本当におめでとうございます!!!
先述の八嶋さんのラジオを拝聴した時に、とても穏やかで演劇が本当に好きなんだと素人ながらに感じました。砂の演出、最後のシーン、パンフレットの文章、何もかもに共感できるところ、素晴らしいと感じるところがたくさんありました。また稲葉さんが手がける作品を観に行きたいです!

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