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会社なんていつクビになったっていいと思いながら「厚かましさ」を養っていく

先日とりわけ苦手な仕事に携わっていたせいか、「会社辞めたい」病に苛まれていました。「嫌なことをしたくないから会社辞めたい」だなんて、駄々っ子同然です。

プライドが邪魔して仕事を断れない

これは病というか、体質のようなものです。心身の悪癖なだけで、健康を害すことはありません。コンディションの悪い日に発症するけれど、ケロリと忘れたように過ごす日もあるのです。

特定の悪性腫瘍を摘出すれば治るようなものではありません。したがって「会社を辞める」という手術を施したところで症状は残り続けるわけです。

ではその体質、「癖」とはなんなのかと考えたら、「優秀だと思われたい」というところにたどり着くのでした。

不得手な仕事に携わっていたと書きましたが、そりゃあサラリーマンたるもの、そういう機会もあります。しかし抗う姿勢を見せることもまた、できるのです。

でも私はその仕事を断るチャレンジもせず、渋々引き受けました。

なぜ引き受けたかって、「忙しくもないのに断るなんて」「あの人、仕事全然していないくせに」……そんなふうに思われたくなかったからです。

給料が下がったっていいけれど、そういう悪評が立つことは避けたかった。

給料が下がるというのは、むしろ望ましいことかもしれません。そうすれば、その嫌な仕事を断る勇気が持てた気がします。これっぽっちのお給料しかもらっていないんだから、相応の仕事しかやりません、と。

自分の価値を相対評価でしか判断できない

会社に恩はありますが、組織も仕事も好きではないし、やりがいも感じません。淡々と、お給料のために労力を提供するだけの関係でありたいと思っています。

私が「やりがい」を感じるのは、このブログをはじめとした「個人名義での活動」だけです。しかもライター業などではなく趣味としての活動だけが、やりがいの対象なのです。

当然ながらお金になりません。だからそれは割り切っています。心を満たすことと財布を満たすことが重なっている人は素敵だし尊敬しますが、そうなれないもんはなれないのだとわかりました。

それなのに、「割り切って淡々と働く」ことへの罪悪感が拭えません。

こんなにも会社に忠誠心のない人間が正社員登用されていていいんだろうかと悩む。「悪いと思うなら心血注いで仕事をガンバレ」との声が聞こえてきますが、それは上記の通り、無理なのです。

この罪悪感ゆえに、会社を辞めたくなります。すべては「優秀だと思われたい」から。「優秀でなければ存在価値がないと思われる」、いや正しくは「優秀でなければ存在価値がないと(他人に)思われる」というのが、私の思考の癖です。

私は「自分の価値」を相対評価でしか把握することができません。

絶対評価で自分を見つめる方法がわからないのです。これは、大変な弱点だと思っています。

存在するだけで価値があるという考え方

「存在給」という考え方があります。

その名の通り、存在していることに対するお給料です。給料はあなたの仕事量や熱意に対してではなく、あなたという存在そのものに対して発生している。

絶対評価の塊のような考え方です。こんな発想が自分から湧いてくることは、きっと一生ないでしょう。そして、私に著しく欠けているものに他なりません。

愛社精神ゼロだけど、自社商品に全然興味がないけれど、残業なんて全くしたくないけれど、私は正社員でいていいし、給料は下がらなくていい。

組織には「あの人全然働いてないじゃんw」と若手に嫌味を言われているおっさんたちというのが、います。そういう人に限って、まったく悪びれている様子がない。周囲の声などどこ吹く風で、今日も出先表に適当な行き先と「NR」の2文字を書き記して外に出ていきます。

彼らの姿は「目指すべきもの」なのかもしれません。

固定給があるうちに「厚かましさ」というスキルを磨く

会社を辞めたい理由が「罪悪感」であるうちは、自分から辞めてはならない。そう思いました。

このまま転職しようと、フリーランスになろうと、「存在給」の考え方ができなければどこに行っても同じです。結局また、具体性のない「他人」「みんな」を想像しては、彼らに非難されることから逃れるための「罪悪感」を作り出して首を絞めて、のたれ死ぬ。

あっ、首は首でも、「クビ」は別です!君はあまりにも働かないのでクビ!……そう言われたら、よろこんで辞めましょう。愛社精神もやりがいも感じないと書いたばかりです。失って困るのは「安定収入」だけです(けっこう困るな)。

正社員である今のうちに、「自分には存在給が発生しているのだ」という考え方を身に着けたい。厚かましさを養えるのは、固定給がもらえている今だけです。

ためしに今日、18時をまわる前に会社を出てみました。コソコソ隠れてではなく、堂々と挨拶をして。まだ外は明るくて、一気に気持ちが晴れました。罪悪感で潰されそうになるのは、退勤記録をつけるときまでです。

しかしその開放感の一方で「いつまた繁忙期に入るかわからないし……」という不安が見え隠れ。せっかくの心地よさが台無しです。不安に怯えていては厚かましさは養えない。18時に帰れないような仕事量になりそうだったら、厚かましく断ってみることにしてみよう。

できるかどうかわからないけれど、ひとまず今日のところはそう決意してみます。

ヤフー知恵袋や発言小町でこの類の悩みを投稿したら、「社会なめてる」「さっさと会社やめろ」なんて具合でボコボコにされるんだろうな……いや、おっしゃる通りですベストアンサー様。すみません。

※本記事は、ブログ「言いたいことやまやまです」で2018年6月に公開した記事を編集したものです

※結局、存在給や絶対評価といった考え方はインストールできぬまま、会社を辞めてしまいました。でも「夫におんぶにだっこ」という厚かましさで、なんとか生き延びています!

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