タリン旧市街2

バルト海と地中海を結ぶ古代の夢を追いかけて(3/3)

ロシア帝国や、江戸幕府、フランスやドイツなどに近代国家ができるまでの、バルト海と地中海、そしてユーラシア大陸を駆け巡る人々の活発な動きは、我々には余り語られない、歴史のロマンなのだ。

中世ヨーロッパの人々にとって貴重なタンパク源であったニシンの塩漬、さらに穀物や毛皮が、バルト海から大量にヨーロッパにもたらされ、ノヴゴロドやキエフなどには、中部ヨーロッパの織物や地中海の産物が運ばれる。ギリシャ正教もそのルートで北上しバルト海に至り、今やロシアの最も重要な宗教へと進化した。あのギリシャ正教会の建物に共通した玉葱型の塔。これは、現在のイスタンブールに本拠をおいたビザンチン帝国で様式化されたもの。それがイスラム勢力の勃興とともに、モスクの様式としても取り入れられる。こうした文化の流れの線の上に、バルト海から地中海への人の動きがあったともいえる。

タリンに首都をおくエストニアは、旧ソ連から独立した後、今は EC の一員としてユーロも流通する。タリンへはフィンランドの首都ヘルシンキからは高速船で1時間半。
さらに、ノヴゴロドはサンクトペテルブルグから列車で3時間。サンクトペテルブルグにはヘルシンキから同じく列車で3時間。いずれもサービスは頻繁だ。

ヘルシンキからタリンへの船から見るバルト海も、北国の海ではありながら、あのホメロスの言葉を何故か思い出させる、葡萄色だった。

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