見出し画像

未来に向けての『日本の価値』の選択を

【海外ニュース】

That is a future we can choose, a future in which Hiroshima and Nagasaki are known not as the dawn of atomic warfare but as the start of our own moral awakening.

訳:広島と長崎が核戦争の幕開けとしてではなく、我々のモラルを喚起したイベントとして記憶されるような未来を選択しようではないか(バラク・オバマ大統領の広島での演説より)

【ニュース解説】

オバマ大統領が広島で演説をしたことは、日本人には好感をもって迎えられたのでしょう。

ヨーロッパの事例を見れば、ドイツの首相はかつて何度かアウシュビッツを訪れ、人種差別や戦争の残虐性について演説をしています。

また、D-Dayという、アメリカやイギリスが主導してドイツに占領されていたフランスに上陸した記念日には、ドイツの首相も招かれて、平和についてのメッセージを贈っています。

戦争の責任などを巡って様々な意見が交錯する中、我々は今戦争の「結果」に注目するべきで、戦争の原因や理由だけにこだわる視点を捨てなければなりません。

「歴史認識についての論争」という言葉の危険性は、戦争がおきた理由を論争するあまり、戦争自体の結果がもたらした悲惨な状況への配慮が欠如し、新たなナショナリズムへの傾斜のみが肯定されることにあります。

先の戦争の結果、5000万人(統計によっては8000万人以上)を超える犠牲者があり、失われた財産は測定不可能といわれるほどの損害があったこと。

さらに、その後に人々の間に憎しみが残り、それが今でも世界情勢に様々な影を落としていること。

この事実を認識することが大切です。

また、犠牲者には家族がいます。

息子を火炎放射器で殺された母親もいれば、憎しみによる誤解から戦後に戦犯となって処刑された若者の妻子もいます。

この戦争の「結果」を注視すれば、そこに至る過程の認識への論争のみに終始することの愚かさが見えてきます。

オバマ大統領は、原爆を投下したことの原因や理由についてではなく、原爆投下という事実が問いかける「モラル」の問題が人類に投げかけられたと演説しています。

中国への外交問題や沖縄の基地の課題などに揺れる日米関係のなかで、オバマ大統領の広島訪問の政治的な背景を云々すれば様々な憶測を持つことができるはずです。

しかし、この演説が戦争の凄惨な結果を見つめ、人間のモラルを破壊しないような未来をつくることを促したものだと率直に受け止めたほうが、はるかに人類には有益なはずです。

であれば、例えば日本の総理大臣が、アメリカのリーダーとともにパールハーバーを訪れ、世界に平和を訴えることも、今後は考えなければなりません。

日本には、「謙虚」、あるは「礼節」という伝統的な価値観があります。

どちらが良いか悪いかではなく、戦争で何がおきたかを日本として謙虚に考え、その結果から学んだ平和への強い意思を表明することこそが、日本の伝統的な価値に支えられた美徳を世界にアピールすることにもなるはずです。

それには「勇気」も必要です。

過去をぐっと飲み込み、逆に未来に対しては強く積極的にリーダーシップをとってゆくという「腹のすわった」対応が今の日本には欠如しています。

そして、そうしたリーダーシップの取り方なしには、韓国や中国といった隣国との融和もありえません。

よく、日本人ははっきりものをいわないと批判されます。

だからちゃんとものを言うべきだと、戦争がおきた原因やプロセスを強く自己弁護しようとしたり、隣国からの批判に対して感情的に対抗しようとしたりする人がいたとしたら、それは重大な誤解です。

はっきりとものを言い、世界をリードするためには、過去への執着ではなく、腹のすわった未来への行動をみせなければならないのです。

このことを、わきまえないネット右翼や一部の政治家たちは、逆に日本の文化そのものを汚しているのだということを知るべきです。

アメリカの多くの人は、オバマ大統領の広島訪問を快く思っていないことは、すでに解説した通りです。

しかし、それを飲み込んだ上で、広島を訪れたオバマ大統領の政治判断を評価するべきなのではないでしょうか。

そんなオバマ大統領の訪日で日本に投げかけられたボールを我々がどう受け止め、どこに向けて打ち返せばよいのでしょうか。

すでに、ここまで解説すれば答えは明確なはずです。

平和を求める国家、というよりは個人として、日本人が世界とリーダーシップを共有し、戦争のない未来の創造に様々な形で関わってゆくこと。

そして、国家のリーダーはそうした行為を積極的にバックアップすることに徹する勇気を磨きたいものです。

過去に向けた論争は、冷静な歴史的、学問的な究明に委ねるべきです。

そして、そこに多様な意見や反論があった場合、ナショナリズムというバイヤスを排除しながらそれを見つめ、熟考するという自発的なイニシアチブが必要です。

オバマ大統領の広島訪問をこうした未来への活動へとつなげられれば、日本の世界への貢献、世界の平和への歩みに、新しいページを開くことができるはずです。

2016.6.7

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?