スポーツ選手の『不祥事』にあたり冷静でフェアな対応を
【海外ニュース】
Up Early and in Line for a Marijuana Milestone in Colorado. They were among the hundreds of tourists and residents across Colorado who eagerly took part in the country’s first-ever sales of state-regulated recreational marijuana.
訳:画期的なマリファナ合法化を受け、早朝からコロラドでは行列が。彼らは、コロラド州が一般的な楽しみのためのマリファナの使用を合法化した記念すべき日のために州の内外から集まってきた人々なのです。(ニューヨークタイムズより)
【ニュース解説】
ちょっと考えてみたことがあります。
アメリカでは、ネバタ州ではギャンブルは合法です。
ネバタ州を代表する街といえば、ラスベガスですが、ラスベガスに行けば、空港にもギャンブル施設があり、人々はこの街にきてトランプやマシンにお金をかけます。
日本では、ギャンブルは違法です。
では、日本人はラスベガスでギャンブルをすれば日本で罪にとわれるのでしょうか。
もちろん、答えは否です。
合法の場所で、合法なことをすることは、その国の主権の中でのことなので、だれも何も言えないはずです。
次に中国のことを考えます。
中国では、自らの政府を公に批判すれば、様々な法律によって追求され、罰せられます。
では、中国人は日本では中国の政府の批判ができないかといえば、言論の自由がある日本の中で中国について何をいおうと、もちろん問題はありません。
ただ、そうした行為をした人が、中国に入国や帰国したときに、様々な理由で拘束されることがあるために、多くの国では中国の言論に対する問題を強く批判することになるのです。
こうしたことを前提に、再びアメリカの話題に戻ります。
2014年にコロラド州ではマリファナが合法になりました。
タバコのように一般の人がマリファナを楽しめるようになったのです。
誤解をしてもらっては困ります。
私はマリファナの良し悪しを言っているのではありません。
法律やモラルは国や地域によって異なるのだということを、冷静に考えてみたいのです。
コロラド州やワシントン州ではマリファナを公に吸っても大丈夫なのです。
さらに、こうした事実もあります。
日本では、人に迷惑をかけないかぎり、お酒を飲むことはまったく問題なく、夜になれば人々はビールや日本酒など、わいわいと楽しみます。
しかし、サウジアラビアなどのイスラム教の国家では、お酒は違法ですし、公の場所で飲めば罰せられます。
もちろん、日本人であっても、向こうに行けばその法律に従わなければなりません。
向こうでそういうことをすれば、きっとマリファナを吸ったのと同様に批判されるはずです。
次に、未成年者の権利ということを考えます。
未成年者とは、文字どおり、大人になっていない者のことで、年齢的にも、経験の上でも社会に対して責任を負えない子供のことを意味します。
子供であれば、たとえ罪をおかしても、人格的に成長期にあることを考慮して教育をしてゆく方針で、大人に課せられる罰則とは別の考え方で、社会によって育ててゆく意識をもった指導的な罰則が課せられます。
以上のことを考えて、先週スノーボードの未成年の選手がコロラドでマリファナを吸引したということで選手の権利を剥奪されたというニュースを振り返ります。
選手の心がけがどうであったかどうかはここでは触れません。
問題は、マスコミも、世論も、さらにスポーツ関係者も、ここに記したような事柄を冷静にチェックし、共有した上でこの「不祥事」を公にし、処分をしたのだろうかという疑問が残るのです。
未来ある少年の過ちを、大人と同じように罰することも、さらにマリファナが合法の場所で友人にすすめられてマリファナを吸引したことへの批判も、はたして配慮のある、未来ある子供のことを考えての判断だったのでしょうか。
言論の自由のない中国とおなじように、海外での行為を日本国内で裁くことの妥当性の基準がブレているのではないでしょうか。
ここのところプロ野球やバトミントンでの賭博行為にはじまり、スポーツ選手の不祥事がよく報道されます。
その流れに沿って、またもやスポーツ選手がという触れ込みで、コロラドでマリファナを吸引した未成年のスノーボードの選手が厳しい処分を受けたという報道が流れました。
これら一連の報道のなかで、コロラド州の法律等についての冷静な報道がほとんどみられなかったのは極めて残念です。
様々な状況を冷静に報道して、選手の処分について視聴者に知らせることなくしては、単なる世論誘導、世論への迎合のための報道ということになってしまいます。
それはある意味で極めて危険なことです。
人が大きく成長するときには、ミスもおかすはずです。
無菌室にいて、優等生でなければ、何もできないという発想では幅があって深みのある人格形成はできないはずです。
マスコミも、スポーツ界などの管理者も、こうした課題をよく考えながら、冷静な対応をしてもらいたいものだと考えます。
2016.5.3
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