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山久瀬洋二
2016年9月2日 09:20
ノヴゴロドもその後ハンザ同盟に加わり、商業都市として繁栄する。ノルマン人、そしてハンザ同盟の商人達の交易ルートは、タリンなどのバルト海の都市から、ノヴゴロドを経て南下し、キエフからさらに黒海を経て、コンスタンチノープルに及んでいた。そして、もちろんその東端からはシルクロードへ、そして南端からは中東を含む地中海世界全体へ販路が広がってゆく。旅をしながら歴史に触れるときは、年表に従った退屈な日本の
2016年9月4日 09:15
ロシア帝国や、江戸幕府、フランスやドイツなどに近代国家ができるまでの、バルト海と地中海、そしてユーラシア大陸を駆け巡る人々の活発な動きは、我々には余り語られない、歴史のロマンなのだ。中世ヨーロッパの人々にとって貴重なタンパク源であったニシンの塩漬、さらに穀物や毛皮が、バルト海から大量にヨーロッパにもたらされ、ノヴゴロドやキエフなどには、中部ヨーロッパの織物や地中海の産物が運ばれる。ギリシャ正教