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【100人の起業家との出会い】なぜ”オカラ”で起業したのか?

タイトルにもある通り、2021年6月にオカラを使った健康食品を開発するオカラテクノロジズという会社を立ち上げた。皆さんが1番気になる「なぜ”オカラ”の会社なのか?」について今までの紆余曲折あった人生の挫折と挑戦ともに、その理由をシェアさせてもらえればと思う。

何か新しいことに挑戦してみたいという人に、少しでも何か届けられたら嬉しい。

高校生の頃の夢

まずは私の簡単なパーソナリティから。宮崎県宮崎市、ソフトバンクホークスのキャンプ地の近くで生まれ育ったカントリーボーイである。

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そんな私は高校生の時から、なぜかAnother Skyに出るという漠然とした夢があった。中でも1番強い衝撃を受けたのが「ピース綾部さんが”NY”を訪れる回」である。

「どんだけ笑われてもニューヨークのレッドカーペットに立ちたい。」
そう語る綾部さんの言葉は、面白おかしく放送されていたが、私は「綾部さんみたいになりたい!」と身震いするほどかっこよかった。この頃から漠然と海外で働いてみたいと思うようになる。

大学時代は筋トレにハマる

大学は明治大学の食料環境政策学科に入学した。ごちゃごちゃしてわかりづらい名前だがフードロス、CO2排気、環境問題、SDGs、国際貿易などを学ぶ学科だ。

勉強はそれなりにやっていたが、当時は何よりも筋トレにハマり、ついにはボディビル大会に出るまで情熱を注いだ。

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筋トレにここまでハマったのは、大学時代4年間スポーツクラブでアルバイトしていた影響が大きい。当時、自分に筋トレを教えてくれたバイト先のスタッフ、お客さん、一緒にトレーニングをしてくれた仲間たちには心から感謝したい。高校時代は55kgだった細身の男が、20kg増えて75kgの細マッチョに。(右が19歳の時、左が現在)

①見た目が変われば自分に自信が持てること
②トレーナーとしてお客さんの健康をサポートする楽しさ
③健康的な食生活と運動でポジティブに、そして人生が最高になること

これらをトレーナーのアルバイトから学んだ。
就活でもこの話ばかりしていた気がする。「健康産業に賭けたい!」という思いからトレーナーになるか、他の道で悩んだ結果、”食品をとおして健康に貢献する”食品商社の道を選んだ。

会社員時代 理想と現実の葛藤

2019年4月から晴れて食品商社に入社。生協部門を21年7月の退職まで約2年間担当した。ここで、オカラ事業のきっかけになる経験を得たのは、後半で詳しく話したい。

大学時代にフードロスを専攻していたこともあり、ある程度フードロスの現状については知っているつもりだった。しかし、実際の現場ではまだ食べることができるのに、厳しい管理ルールの中で捨てられてしまう多くの食品があった。

そして自分自身も年間100万円分以上の食品を廃棄し、「今まで自分が学んできたことはなんだったのか」と頭を悩ます日々が続いた。

更には、自分がテーマとしている”健康”に関しても、多くの添加物が使われていたり、明らかに健康的ではない商品であったり、そしてそれを自分が売らなければいけないことに歯痒さを感じた。(振り返るとこの実体験がオカラ事業に賭けたいと思わせてくれた。)

入社して1年が経った20年6月、自分で会社を立ち上げることを決め、1年後に退社すると人事に告げた。

100人の起業家に会う

自分で会社を立ち上げることだけは決めたが、如何せんそのやり方が分からないのはもちろん、ネットワークもスキルも無かった。ブログを2年くらいやったり、トレーナーをフリーでやったりしたが、これらの活動で「世界中の人を健康にする」というビジョンが全く見えなかった。

ソフトバンクの社長の孫さんは、高校時代に大企業の社長に会いに行ったという動画をYoutubeで見て、自分も同じことをやると決意。
次の日から、Twitterやインスタ,FacebookなどのSNS、wantedlyといった転職アプリを通じて「起業したいから会って欲しい」「アジア支社を立ち上げます」といっためちゃくちゃ失礼なメッセージを送りまくった。(そのうちの1つです↓)

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結果、「お前舐めんのか」とキレられることもあったが、国内外含め100人以上の事業家にお会いできた。上の画像のように当時の明らかに怪しいメッセージに応じてくれた方々には心より感謝申し上げたい。ありがとうございます。

そのうちの1人に自分より1つ年下の男の子がシリコンバレーで起業をしているという話を聞いた。会っていたいと思い、1週間後には関西へ。実際に話を聞き、「自分でもできるんじゃないか?」と何故か思った。

その次の日、親・友人に”シリコンバレーへ行く”と話し、会社にも21年夏で退職を告げた。自分は「シリコンバレーで事業を起こしアナザースカイに出るんだ!」とSNSなどでも発信したことから、「あいつは頭がおかしくなったんじゃないか」と各方面心配をかけたことはお詫び申し上げたい。すみませんでした。

投資家の方との出会い

シリコンバレーに行くと決め、長期滞在するには現地で働く権利が必要だと知った。この日から海外の健康系企業の人事へメッセージでアタックする日々になった。英語面接は緊張したが、最高にワクワクした。

起業家の方とお話しすることも続けており、そこで今の事業を行う着想を与えてくださったMさんに出会った。自分がシリコンバレーでやりたいこと、目的、事業アイデアを1枚の紙にまとめ送った。
そしてMさんと初めて話す当日。自分の意見をいう間も無く、「これではうまくいかない」と詰められたのを鮮明に覚えている。

少し落ち込んでいたところ、その2日後に「代替タンパク質のスタートアップ事業に興味あるか?」と聞かれた。

即答で「やりたい」と返した。これがオカラ事業だとは全く知らなかったが、本能的に「ここで断ったら一生チャンスはない」と思い決めた。

そして、関係各社、自分のできることなどを話し、オカラを使って健康食品を作る事業をすることに至った。

なぜオカラ事業なのか?実体験から得た解決したい課題

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オカラ事業をやることに決めた理由は3つある。

①オカラが年間30万トン捨てられているフードロスの現状
②オカラの高い健康価値
③代替タンパク質が必要不可欠になる将来性

①は先にも書いたように、自分が大学で学んできたことを生かせず歯痒い思いをした食品商社時代の影響が大きい。豆腐事業者は日本に6000社あるが、豆腐の作り方が店によって違うことから、オカラを工場でルール化して加工する難易度が高い。また、水分を多く含み賞味期限が短いため、オカラは1999年に産業廃棄物と最高裁で判決された。そのため豆腐事業者は、廃棄費用(月10万円〜)を払ってオカラという資源を捨てている。ハードルは高いが、フードロスを学び実際の現場を見た私だからこそ解決できる課題だと思った。

②に関して、オカラは高タンパク、高食物繊維のスーパーフードである。健康産業はアメリカ発信のことが多い。日本発信で健康食品を作るという点で、調べれば調べるほどオカラの魅力にハマった。日本は水が美味しく当然豆製品も美味しいこと、そしてオカラを食用に古くから活用していることから世界に轟く可能性が十分にあること。

③は、昨今叫ばれている”SDGs”というキーワードだ。私が社会人時代に担当していた”生協”の組合員様は、環境配慮の意識が高く、値段よりもクオリティ、環境に良いものを求めていた。環境のためにわざわざ高いものを買う人がこんなにもいるのかと不思議に思った。

そして、どうやらSDGsは今後くるらしいぞとネットで検索をしてみると、海外の起業家の多くが代替タンパク質に傾倒していた。2050年に人口が100億人を超えるって時に、肉の奪い合いが起こるほどやばいことになるらしい。
(豆腐と牛肉だと1kg作るのに10倍の二酸化炭素の排出量↓)

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これだけでかい課題を解決できるのは、夢があって面白いと興味が湧いた。そして、生協の組合員さんと話していると日本でもその需要はある!と確信できた。
こうしてオカラ事業に賭けようと決めた。

これからの取り組み

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ここまでお読みいただきありがとうございました!
以上、私がオカラ事業をやると決意したストーリーです。

会社を辞めて、自分で会社を立ち上げると言ったその日から多くの方から「応援してるよ」「頑張って」「勇気をもらった」など温かい言葉をいただきました。

私が健康産業に賭けてみたいと思って6年。会社を立ち上げて3ヶ月。ついにクラウドファンディングサイトMakuakeにて、8月23日19時より開発品第一弾のオカラピザを先行予約発売します。

もし少しでもご興味ある方は、ご購入、拡散よろしくお願い致します!
※発売開始後、SNS等でシェアさせていただきます。

(株)オカラテクノロジズ代表取締役 山内 康平















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