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振り返って映画
こんにちは。山木です。
最近noteの投稿が滞っていたので、久しぶりのフリック入力はなかなか手間取ってしまいます。
今回は最近見た映画
トーマスヤーン監督「Knocking on heaven's door」
黒澤明監督「生きる」を見て思ったことを書いていきます。
結論
死生観に思うところがある方にめちゃめちゃおすすめです。
早くご覧になられてくださいませ。
といっても、いきなりそんな核の部分の話をするのは敬遠されるとは思います。ここ数日、その核を見失いつつあった自分に重なったのも大きいです。
ですから、この文章を読まれている皆さんが何か行き詰まった時にこの映画を思い出していただければ、というのが本音です。
あらすじとしては
1本目は、死の近づいた二人の男が、盗んだベンツで海に行く
2本目は、死の近づいた一人の男が天命を見つけ、公園を作る
なかなか内容が見えてこないこのあらすじの共通点は、死ぬことと生きることの振れ幅の持つエネルギー
だと考えています。
医者から"末期患者"というラベルを貼られ、生きることを見つめ直した3人の男の生命力。
その対比が、小学校時代の砂の山のトンネルを思い出させました。
山が崩れないように、爪と爪の間の土を気にするそぶりもなく一心不乱に掘り進める。そして向こう側の友達の手が、開通された穴から入ってくる光と共に見えてくる。
真っ暗闇の死の中でも、動き続けることによって、生に対する大きなエネルギーを対称的に得るその様子に惹かれました。
「死ぬ気でやる」っていう言葉の意味を体感させてくれる映画ですね〜。
温室で育った私はそういった姿に憧れてしまいます。
生を単純に肯定することが苦手なので、一生それを追い求めていくのかなと思っていたのも事実です。
それでも、このお仕事を始めていく中で、人生を単純作業にせず懸命に動かれている姿を見て影響を受けるばかりです。
映画というものが好きすぎて、現実とのミスマッチをなかなか受け入れられなかった自分とは2024年でおさらばしたいと思いました。
話は変わって、先日たまたま友人が東京に来ることとなりました。その際、久々にいったサウナがとても楽しかったです。
2500年前にこの気持ちを実感していた孔子の気持ちを僭越ながら実感できたと思います。
そのときに、彼がこの文章を読んでいるっていうので、恥ずかしさがある反面、こんな自分でも人に影響を与えているのだなと不思議な感覚になりました。
2024年は2023年の年末には想像もつかないような激動の一年でした。
洋装のことが好きになり、色々な人との一度距離ができて、新しい方々との距離が縮まってという感じでした。年末年始は実家での家族との時間をエナジーとして自分の中に溜め込み、美味しいご飯を皮膚の下に溜め込み、大好きな映画や本を楽しんで溜め込みます。
今年一年いろいろな人に支えられ、たくさんの人にいろんな思い出をいただいたので、来年はもっと返していける、もっと与えられる一年にしたいですね。2025年の自分の人生がどのようになるのか、映画監督のように楽しみにしていきます。
今年一年少しでもこのノートをお読みいただきありがとうございました。この文章を読んでくださる皆様の2025年が素晴らしい一年になることを願っております。
来年も宜しく致します!山木でした。