枝いっぱいに咲くコブシの花を、宮澤賢治はこう表現した
「サンタ、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」
向こう側の子が答えました。
「天に飛びたつ銀の鳩」
こちらの子がまたうたいました。
「セント、マグノリア、枝にいっぱいひかるはなんぞ」
「天からおりた天の鳩」
童話「マグノリアの木」
花がまるで鳥のよう
じめじめとした霧のなか、険しい山谷を歩き続けてきた主人公、諒安。にわかに霧が晴れ、いちめんに咲いた「マグノリア」の花がその目に映りました。日の当たるところは銀のように光り、日陰になったところは雪のように見えます。諒安は、こころも明るくあたりを見まわしました。
そこで聴こえてきたのが、紹介した一節です。
マグノリアは、モクレン科モクレン属の学名で、モクレンはもちろんのこと、ホオノキやタイサンボクなどが含まれます。しかし、早春の野山でコブシの花が咲いているのを見たことがある方なら、「銀の鳩」や「天の鳩」という表現が、コブシの花を指しているのだと気づくのに、ほとんど時間はかからないでしょう。
コブシの花を表すのに、これほど的確な比喩があるでしょうか。
コブシやモクレンのつぼみは、温度にたいへん敏感で、陽の光が当たる南側だけが温められて伸び、結果としてその先端が、そろって北を指すことがあるそうです。そのため「コンパスプラント」とも呼ばれますが、つぼみや花がそろって同じ向きに傾いでいること、長い花びらが開くと翼のように見えることが、いっせいに飛び立つ鳩のように見える理由と思われます。
野山を歩いて、鳥や花の名前をメモしたり、写真を撮ったりする方はたくさんいます。しかし、その印象や特徴、感動を文章で書きとめておく方は、多くはないように感じます。宮澤賢治が生きていた時代は、野山を持ち歩ける手軽なカメラもなく、言葉やスケッチで記しておくしか方法がありませんでした。それは、不便なことだったに違いありませんが、だからこそ、これほど美しい表現が残されたとも言えます。
ちなみに、マグノリアに冠せられた「サンタ」や「セント」は、キリスト教で「聖者」を示すものと考えられます。いっぽう、諒安という主人公の名前からも察せられるように、このおはなしには仏教の言葉が散りばめられています。「マグノリアの木」は、仏教とキリスト教、ふたつの世界が優しく融け合うおはなしです。
賢治は十八歳のときに法華経に出会うと、熱心な信者となりました。一時は、周囲にも強く法華経を勧めたため、浄土真宗を信じる父とはたびたび激しい口論となり、キリスト教に関心を持つ友人とは考えの違いから疎遠になりました。
信じるものが異なるために、争いになるのは悲しいことです。賢治は自戒を込め、異なる宗教が融け合うおはなしを書いたのかも知れません。そこにコブシの花が咲いていたのは、鳩が平和の象徴とされる鳥であることと、無縁ではないでしょう。
北国に暮らす者にとって、コブシは春を告げるかけがえのない木です。その枝いっぱいに咲く花が、天から降りた銀の鳩だと思えるのは、賢治を読む者の幸いです。
(『自然をこんなふうに見てごらん 宮澤賢治のことば』(澤口たまみ著)より)
※権利の都合上、書籍とは異なる写真を掲載しています。
宮澤賢治のおはなしには、自然を見る魅力的な視点が詰まっている。
岩手在住で賢治の後輩でもあるエッセイストが、その言葉を紐とき、自然をより楽しく見るための視点を綴る。
著 澤口たまみ
定価 2090円(本体1900円+税10%)
発売日 2023年2月13日
四六版 208ページ
内容紹介
⽊の芽の宝⽯、春の速さを⾒る、醜い⽣きものはいない、⾵の指を⾒る、過去へ旅する…
⾃然をこんなふうに感じとってみたいと思わせる、宮澤賢治の57のことばをやさしく丁寧に紐といた⼀冊です。
「銀河鉄道の夜」も「注⽂の多い料理店」も、宮澤賢治は、おはなしの多くを⾃然から拾ってきたといいます。それらの⾔葉から、⾃然を⾒る視点の妙や魅⼒をエッセイストの澤⼝たまみさんが優しくあたたかな⽬線で綴ります。
読めばきっと、こういうふうに⾃然を感じとってみたい、こんなふうに季節を楽しみたい、と思わせてくれる一冊です。
著者紹介
澤口たまみ
エッセイスト・絵本作家。1960年、岩手県盛岡市生まれ。1990年『虫のつぶやき聞こえたよ』(白水社)で日本エッセイストクラブ賞、2017年『わたしのこねこ』(絵・あずみ虫、福音館書店)で産経児童出版文化賞美術賞を受賞。 主に福音館書店でかがく絵本のテキストを手がける。絵本に『どんぐりころころむし』(絵・たしろちさと、福音館書店)ほか多数。宮澤賢治の後輩として、その作品を読み解くことを続けており、エッセイに『新版 宮澤賢治 愛のうた』(夕書房)などがある。賢治作品をはじめとする文学を音楽家の演奏とともに朗読する活動を行い、 CDを自主制作している。岩手県紫波町在住。