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算数苦手人多すぎ問題と、算数は暗記だ問題について

「算数/数学が好き」というと、変な目で見られることがしばしばあります。

私の奥さんなんてその典型で、数式なんて見るのもイヤ、というタイプ。好きな私にとっては少し寂しさを感じるのですが、少しでも算数・数学的な問題に出くわすと最初から考えることを諦めてしまうんですよね。

とはいっても、「考えること」そのものが嫌いか……というと、そうでもなさそうなのです。先日最終回を迎えた『あなたの番です』ってドラマにどハマりした妻は、与えられた情報をもとに、「犯人は誰だろう」とあれこれ楽しそうに考えていました。

論理的思考は算数で鍛えられる、とはよく言いますが、たとえ算数・数学が嫌いだとしても、「考えること」それ自体が嫌いな人って、パスカルの名言を引用するまでもなく、そんなに多くないんじゃないかと思います。

「聞いてわかる」と、「考える」の境目

一方、『あなたの番です』を奥さんと一緒に見ていた私は、犯人が誰かとあれこれ考えることはできませんでした。別にドラマがつまらなかった訳ではなく、普通に楽しんで観ていたのですが。

というのも私、人の名前を覚えるのが非常に苦手なのです。『あなたの番です』全話通して観ましたが、いま主人公の名前を書こうとしてもパッと出てきませんでした。

「ジムに勤めている」とか「奥さんが大好き」だとかそういう属性だったり、顔もちゃんと思い浮かべられるのですが、名前が一致しない。

小説だと、名前が出てきたときにその人物がわからなければ遡って調べることもできますし、前後の文字情報が多いので「その名前が誰を指しているのか」を推測できることが多いのですが、ドラマで突然「〇〇さんが〇〇さんを殺したのかもしれない」とか本人がいない前で言われるともうお手上げで、主人公の推理を半分くらい聞いてようやくわかる、という繰り返し。

いや、ひとつひとつの推理は筋道立っているし、聞けば理解もできるんです。でも、結局登場人物の名前が曖昧なので、自分で犯人が誰か考える、というのはできませんでした。

……こう振り返ってみると、これってすごく「算数の授業」とシチュエーションが似ているなと思いました。

私は大学〜大学院の6年間、小学生向けの学習塾で塾講師のアルバイトをしていたのですが、算数の成績があまりよくない子でも、授業中はけっこう質問に答えられるし、授業アンケートでも「よく理解できた」とか「わかりやすかった」とか書いている。でも、いざテストになると解けない問題も多い。

私が人物名をいまいち覚えていないにもかかわらず、ドラマの推理を「聞けばわかっていた」のと同じように、その生徒たちもおそらく、算数の授業を「聞けばわかっていた」のでしょう。

たとえ、「大前提として当然覚えているはずのこと」を、本当は覚えていなかったとしても。

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結局、人は自分の覚えている範囲でしか考えられない

当然といえば当然なのですが、人は自分の覚えている範囲でしか試行錯誤できないんですよね。算数という教科の恐ろしいところは、積み上げ型であるがゆえに、学年が進めば進むほど「当然覚えているべきこと」が増えていってしまうということ。

授業は「聞いていてわかる」からそれなりについていける。でも学年を重ねるごとに「覚えていないこと」が増えていき、「気づいたときにはもう遅い」がいちばん発生しやすいのが算数なんだと思います。

先日、よんてんごPさんのこの記事が話題になりました。これはちょっと極端な例ですが、こういう「そもそも基礎ができていない問題」は算数でまず問題になることが多い気がします。

だからこそ、「算数は暗記だ」という人がいることもわかるんです。算数〜数学を学ぶ上で、明確に「覚えなければいけないこと」は存在します。極端な話、0〜9という数字そのものを「暗記」していなければ、「+」「×」といった演算子の意味を「暗記」していなければ、問題を解くこともできないでしょう。

 難しいのは、「何を覚えればいいのか」の見極め

でも一方で、算数は「覚えなくていいこと」もたくさんあります。

中学受験などでは「効率のために覚えたほうがいいこと」が多くて勘違いしがちですが、算数は他の科目より、「解くために必要な知識が少なくて済む」科目です。

難しいのは、「何を覚えればいいのか」の見極めです

例えば、かけ算の定義は「覚えなければいけないこと」です。「○回足し算する」ことを「かけ算」と定義していて、それには理由なんてないので、丸覚えするほかありません。

九九は、「覚えた方がいいこと」です。覚えなくてもかけ算の定義さえ覚えていれば答えは出ますが、それでもやっぱり覚えていないと(主にスピードの問題ですが)色々と支障が生じます。

「りんごを○個ずつ、□人に分けると全部でいくつになるか」という問題で、「○×□で答えが出る」というのは、「覚えようとしないほうがいいこと」です。これに引きずられ過ぎると、例えば「りんごが○個あり、□人に分けると一人いくつになるか」という文章でも、反射的に「似ているから」という理由で「○×□」をやりかねません。

算数以外の科目は、比較的この優先順位を見極めやすいものが多いです。でも算数は、本来覚えなければいけない、かけ算の定義をすっ飛ばしたまま、九九と「解法のパターン」を丸暗記しても、テストはある程度解けます。満点を取れるかもしれません。それが故に、優先順位を間違っていることに気づかないまま先へ進んでしまう可能性が大いにあります。

この、とりあえずの暗記によって場当たり的には対処できるために、本来覚えるべきことを覚えないまま進んでいく……ということが積み重なった結果が、ちょっと捻った問題を解けなくしている原因であり、ひいては算数・数学の苦手意識に繋がっているのではなかろうか? と、思うのです。

 だからもう一度、意識的に算数を振り返ってみようと思う

前置きが長くなりました。この「優先順位付け」こそが、算数を勉強するにあたって一番大事なこと……もとい、教えるにあたって意識しなければいけないことなのではないかと、私は思います。

だって算数の勉強をするときって、問題を解くことがほとんどの時間を占めるじゃないですか。問題を解くというのは、「覚えたこと」をもとに「考える」ということです。

しっかり「覚えた」のに、「考える」が不十分なのであれば、繰り返し問題を解くことで鍛えられるでしょう。でも、「覚えた」ことが不十分で解けなかった場合、「何を覚えなければいけないか」をまず考える必要があって、それは自分で優先順位付けできる人でないと相当難易度が高いと思うんです。

自分がこれから、かつてアルバイトでやっていたような「誰かに算数を教える」ことがあるのかどうかはわかりませんが……今までの記憶を忘れないうちに、できる限り算数を振り返ってみたいと思います。タグは #もいちど算数 にしようかな。

これまでの知識の生前整理みたいなものではありますが、もし、たまたま目に留めてくださった誰かの、なにかの参考程度になれば幸甚です。


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