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Origin:飛騨の匠から飛騨の家具、そして飛騨市広葉樹のまちづくりへと連なる土地の系譜


縄文時代の話

 遡ること縄文時代、飛騨地域は現代をはるかに上回る豊かな森林を抱えていたことと想像されます。北アルプスや乗鞍岳まで垂直に延びる標高差や日本海性の気候が生み出す、落葉広葉樹林帯らしい多彩な樹種構成が、縄文人たちの生活のまわりに溢れていました。考古学調査によると、当時の竪穴式住居の遺跡からは、大小様々な木工用の石器が出土されており、彼らが木と共に生活を営んでいたことがわかっています。雪が吹きすさぶ寒い冬の中、様々な木の特性と向き合い、石斧を振っていたのです。トチやクリなどの木の実も数多く見つかっており、あれだけアクの強い木をよくぞ!とおもいます。

みんな同じに見えるけども、きっとここには多種多様な創意工夫があるんだとおもう

飛騨の匠が生まれる

 縄文人より受け継がれた職人としての気質は、奈良時代前後には大きく結実し、「飛騨の匠」という希有な制度を都にて生み出しました。木工技術に優れた飛騨の人々を評し、一部の納税を免除する代わりに、都での木工技術の提供という労役が課されたのです。度重なる都の建造に際し、飛騨の匠たちは多大なる貢献をしてきました。

飛騨地域内にも精巧な建築がいまなお点在している

曲げ木の技術が、飛騨を家具の産地へ

 時は経ち、大正時代の半ばのこと。海外からの曲木技術の導入が日本国内ではじまり、各地で新しい家具産業の興りがみられるようになります。そんななか飛騨地域でも、地域を支える産業を育てようと、地域に豊富にあったブナ林を活用した曲げ木家具生産が始まりました。建築で華開いた飛騨の匠の系譜が、家具にかたちを変えながらも、現代に受け継がれています。

中部国際空港にある飛騨の家具のラウンジ

木工の原点に回帰する、飛騨市広葉樹のまちづくり

 そして現代、飛騨市にて始まったのが「広葉樹のまちづくり」です。縄文時代ほどの森林ではないかもしれませんが、飛騨市はいまなお、9割弱もの森林に囲まれ、その約7割が広葉樹という特徴をもっています。昔から暮らしや産業のなかで利用されてきた飛騨の広葉樹林は、大半が二次林で、何度も人の手が入っている森林です。60~80年生を主体とした里山広葉樹林は、流通に乗せると、約9割がチップになってしまうということで、このままではいけないと「広葉樹のまちづくり」が立ち上がりました。
 広葉樹のまちづくりの想いは、地域に豊富にある自然素材と上手に付き合うことで、地場の森林資源を起点とした地場産業を育てれないか、というところからきています。地域の森林と真摯に向き合い、大事に使っていくという人々の気質は、はるか縄文時代から飛騨の匠、飛騨の家具、そして現代に至るまで、変わらず受け継がれている土地の系譜なんだとおもいます。

岐阜県森林組合連合会・飛騨支所の市場
最近は広葉樹の出材にも積極的に取り組んでいる
飛騨市森林組合の土場、これらわ丁寧に仕分けていく

土地の系譜を踏襲しながら、更新していく

 伝統という名の土地の系譜は、往々にして、現代を生きる人々の足かせにもなります。飛騨は幸い、芸術の域にまで生業を昇華させず、常に暮らしと仕事のなかで土地の系譜に沿ってきたとおもいます。伝統に固執せずとも、土地の系譜を踏襲することはできますが、そこには常に時代ごとの要請に応じた更新が必要です。
 飛騨で続いてきた木を扱う技術の裏には、必ず豊かな森林資源がありました。今一度、その原点に立ち返り、ものづくりを支える素材の源に向き合っていくことは、この土地で暮らしを営む者として、とっても気持ちが良いアプローチだとおもっています。
 地域風土と気質、双方噛み合ってはじめて「地場産業」と呼べるものが立ち上がります。その土地だからこそ成立する営みは、その土地で生きていく意味と誇りに繋がるはずで、私はここに飛騨の取組みの土着性の価値を感じてならないのです。

この土地に何を乗せていくのかを考える

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