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日が昇る国からも:聖書をめぐる旅 8/8

8/8(月)
今朝の札幌はひんやりした朝です。昨年の夏に比べて、過ごしやすい気温ではありますが、夏は夏らしい暑さを、もう少し味わいたい気分です。
本日の通読箇所には、ナント日本のことを指す場所があり、感慨深く読みました。

ゼカリヤ書7章 

5「国の民すべてに言いなさい。
また祭司たちにも言いなさい。
五月にも、七月にも
あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。
こうして七十年にもなるが
果たして、真にわたしのために断食してきたか。
6あなたたちは食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。
11ところが、彼らは耳を傾けることを拒み、かたくなに背を向け、耳を鈍くして聞こうとせず、 12心を石のように硬くして、万軍の主がその霊によって、先の預言者たちを通して与えられた律法と言葉を聞こうとしなかった。こうして万軍の主の怒りは激しく燃えた。


ゼカリヤ書8章

4万軍の主はこう言われる。
エルサレムの広場には
再び、老爺、老婆が座すようになる
それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。
5都の広場はわらべとおとめに溢れ
彼らは広場で笑いさざめく。
7万軍の主はこう言われる。
見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも
わたしはわが民を救い出し
8彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。
こうして、彼らはわたしの民となり
わたしは真実と正義に基づいて
彼らの神となる。
12平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び
大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。
わたしは、この民の残りの者に
これらすべてのものを受け継がせる。
13ユダの家よ、イスラエルの家よ
あなたたちは、かつて諸国の間で呪いとなったが
今やわたしが救い出すので
あなたたちは祝福となる。
恐れてはならない。勇気を出すがよい。
23万軍の主はこう言われる。その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。』」

 「あなたたちは、何もわかっていない。」
と神様が語っているのが、7章のように思います。バビロン捕囚の70年の間、悔い改めることを体験させたはずであったが、その歩みは形だけのものではなかったか?
耳を傾けず、心を石のようにして、預言者の言葉に耳を傾けなかった。
私が受け止めたのは、時が善くても悪くても福音を宣べ伝えなさいということです。終わりの時代に遣わされた私たちは、ただ、黙っているだけでなく、生き方をとおして、言葉をとおして神様の十字架による救済計画をお伝えする役割が与えられていると思いました。

そして、8章ではエルサレムに老若男女が気兼ねなく広場に集うことが語られています。また、ここに日本のことも書いてあります。
「見よ、日が昇る国からも、日の沈む国からも
わたしはわが民を救い出し
8彼らを連れて来て、エルサレムに住まわせる。」
「日の昇る国」とは日本そのものです。
聖書の神様は、全世界を作られた神様であり、イスラエルだけの神様ではなく、この世界の東端にある日本人のことにも、目をかけておられる方です。
「日のいずる処」という表現で隋の皇帝に手紙を書いたのは、聖徳太子で西暦607年のことです。ちなみに、ゼカリヤ書が書かれたのは、紀元前520年から前518年といいますから、聖徳太子の1000年も前に、この預言が語られていることになります。

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