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軍隊の前に:聖書をめぐる旅 1/25

1/25(火)
オデドという預言者の勇気は尋常ではありません。凱旋する軍隊の前に進み出る姿から、役割に忠実な彼の姿、そしてそれに応じるイスラエルの潔さを感じました。また、詩編135編は、今日あなたは誰につくかを問う内容でした。 

歴代誌下28章

1アハズは二十歳で王となり、十六年間エルサレムで王位にあった。彼は父祖ダビデと異なり、主の目にかなう正しいことを行わなかった。
9ところが、その名をオデドという主の預言者がいて、サマリアに凱旋した軍隊の前に進み出て言った。「見よ、あなたたちの先祖の神、主はユダに対して怒りに燃え、彼らをあなたたちの手に渡された。あなたたちも、天に届くほどの憤りをもって彼らを殺した。
11今、わたしの言うことを聞き、兄弟の国から連れて来た捕虜を帰しなさい。主はあなたたちに対して激しく怒っておられる。」
13言った。「捕虜をここに連れて来てはならない。我々は主に対して咎を負っている。あなたたちは我々の罪と咎をいっそう重くしようとしている。我々の咎は既に重く、主はイスラエルに対して激しく怒っておられる。」
22このアハズ王は、災難のさなかでも、なお主に背いた。 23彼は自分を打ったダマスコの神々にいけにえをささげ、「アラムの王の神々は、王を助けている。その神々に、わたしもいけにえをささげよう。そうすればわたしも助けてくれるだろう」と言った。しかし、その神々はアハズにとっても、すべてのイスラエルにとっても、破滅をもたらすものでしかなかった。

→敵に勝利して凱旋する軍隊の前に「ちょっと待った❗️」
とストップさせるとは、どんな度胸が必要でしょうか?
ドラマでトラックの前に飛び出す俳優のシーンを思い出しますが、それ以上に勇気のある行動です。
しかも、捕虜と戦利品を持ち帰った軍隊に、それを相手に返せと言っています。
私は、このオデドという預言者もスゴいと思いますが、それに応じる心を持ったイスラエルの武将も大物だと思いました。
主の御心ならば従う姿勢です。

 主がこんなに南ユダを助けようとしているのに、肝心なアハズ王は、主ではない神にささげものをしています。まあ、王様も大変です。神様の計画は、王がどんなに残念なことをしようと、見えないところで着実に前進しています。


詩編135編

4主はヤコブを御自分のために選び
イスラエルを御自分の宝とされた。
5わたしは確かに知った
主は大いなる方
わたしたちの主は、どの神にもまさって大いなる方。
6天において、地において
海とすべての深淵において
主は何事をも御旨のままに行われる。
15国々の偶像は金や銀にすぎず
人間の手が造ったもの。
16口があっても話せず
目があっても見えない。
17耳があっても聞こえず
鼻と口には息が通わない。
18偶像を造り、それに依り頼む者は
皆、偶像と同じようになる。
19イスラエルの家よ、主をたたえよ。
アロンの家よ、主をたたえよ。

→主にあってキリスト者となった者は、この神様の選びと宝の民という言葉を畏れつつも、感謝を持って受けとる者です。

生きている神様は人間に率直な質問をします。
「16口があっても話せず
目があっても見えない。
17耳があっても聞こえず
鼻と口には息が通わない」偶像にあなたたちは頼るのか?と。

主なる方は人間が作った神ではなく、
人間を作られた神様です。
そして、人間の罪のために喜んでご自身を十字架刑にて裁かれた、救い主なる方です。

今日、あたなは偶像につきますか?
それとも主につきますか?
神など信じないという人は、別なモノを信じています。
例えばお金、例えば名誉、例えば科学、例えば自分。
あなたは、今日誰につきますか?
私は救い主なる方に、今日も頼り、喜んで生きる者です。

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