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「わたし」:聖書をめぐる旅 2/10

2/10(木) 
エズラ記8章、大きな仕事を任されたエズラが最初にしたことは、野営し仲間を集めることでした。箴言は、巷に広がり雑踏の中で呼びかける知恵の声を考えてみました。

エズラ記8章

わたしはアハワに向かって流れる川のほとりに彼らを集めた。そこでわたしたちは、三日間野営した。そこには民も祭司もいるのが分かったが、レビ人が見当たらなかった。エズラ記 8:15 新共同訳
カシフヤという所の頭イドのもとに行かせた。そしてカシフヤという所の神殿の使用人である彼とその兄弟たちに、わたしたちの神の神殿に仕える者をよこしてほしいと伝えさせた。エズラ記 8:17 新共同訳
わたしは旅の間敵から守ってもらうために、歩兵や騎兵を王に求めることを恥とした。「わたしたちの神を尋ね求める者には、恵み溢れるその御手が差し伸べられ、神を見捨てる者には必ず激しい怒りが下ります」と王に言っていたからである。エズラ記 8:22 新共同訳
わたしは彼らに言った。「あなたたちは、主にささげられた聖なる人々です。この祭具も聖なる物で、この金銀も、あなたたちの先祖の神、主にささげられる随意の献げ物です。
エズラ記 8:28 新共同訳


→前の章から「わたし」という主語が出てきました。歴史を動かす方がエズラの言葉を通して、直接語られているような印象をもちました。「わたし」は、まず3日間野営したとあります。これは仮庵の祭りを連想しますが、出発にあたって、同じ釜の飯を食べ、寝食を共にするキャンプじゃないかと思いました。
「わたし」はレビ人を集めます。これは、彼らの神を賛美し礼拝するという目的を最優先したことだと思います。
さらに、「わたし」は自分達を守るために兵を頼むのではなく、天の神様に祈りをささげて、道中を前進しました。人間ではなく、神様の守りを最優先にする歩みです。また、神殿だけで主に遣えるのではなく、生活の中で主に遣えることのお手本のようです。


箴言1章

これは知恵と諭しをわきまえ 分別ある言葉を理解するため 諭しを受け入れて 正義と裁きと公平に目覚めるため。 未熟な者に熟慮を教え 若者に知識と慎重さを与えるため。箴言 1:2‭-‬4 新共同訳
主を畏れることは知恵の初め。 無知な者は知恵をも諭しをも侮る。箴言 1:7 新共同訳
知恵は巷に呼ばわり 広場に声をあげる。 雑踏の街角で呼びかけ 城門の脇の通路で語りかける。箴言 1:20‭-‬21 新共同訳

→若いうちに学んで置けば、と今でも思う書の一つです。知恵の初めは、創造主なる主を畏れることと書いてあります。自分が思う以上に、自分のことを知っている方がおられる。創造主なる方が目的を持って自分を作られた。しかも、その方が私を命がけで愛して下さっている。こんなことは、世にある本には書いていない真理です。
知恵は、街角で私達に語っておられます。
「私の目に、あなたは高価で貴い存在です。私はあなたを愛している」
ちょっと、耳を澄ますと聞こえてきそうです。

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