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聖書をめぐる旅 7/24

ヨシュア記も最後に近づいてきました。かつて、モーセが死ぬ前にイスラエルの民に語ったように、ヨシュアも語っています。おおよそ死ぬ前の言葉とは、本当に大切なことが語られています。ヘブライ人への手紙(へブル)は、信じる者に基礎から一歩すすめるように語っています。なぜなら・・・

ヨシュア23 

5あなたたちの神、主は、御自ら彼らをあなたたちのために押しのけ、あなたたちのために追い出される。あなたたちの神、主の約束されたとおり、あなたたちは彼らの土地を占領するであろう


神様が一緒に戦ってくれるというのは、なんという祝福、平安でしょうか。
先日、海開きのニュース映像で、人が海に入る前に、神主さんが祝詞をあげている様子が映っていました。日本人のメンタリティの中に、目に見えない存在に対する畏敬の念があります。目に見えない神様、それがどんな方であるのか?何をされた方なのか?どんなご計画をお持ちなのか?日本の神、外国の神など国々の神ではなく、天地を創られた神様について、聖書には記載されています。

9主が強大な国々をあなたたちのために追い払ってくださったから、あなたたちの行く手に立ちはだかる者は、今日まで一人もなかった。 10あなたたちは一人で千人を追い払える。あなたたちの神、主が約束されたとおり御自らあなたたちのために戦ってくださるからである。


一人で千人を追い払うことができるのは、神様が共におられ、共に戦ってくださるから。そして、今日私たちに語られている「人間をとる漁師になる」という御言葉から、一人で千人を救うことができる方でもあります。


へブル6


だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。


神への信仰とは、神様を信じるということ以上に、神様に属する者とされたということをいうのではないでしょうか。人間が神様を信じる力は限りがありますが、神様が神の子の血潮によって、罪から贖いだした力によって私たちは、神様につながる、すなわち属する者と変えられました。私たちの信仰は、神様にかかっているのです。


19わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。


かつて、神殿にお住まいの神様には、至聖所の垂れ幕越しにしか人間は接することができませんでした。しかし、イエスキリストが自ら生贄となって、ご自身をささげた故に、私たちはその内側におられる神様に顔と顔を合わせて、お会いする特権の中にいます。いえ、それだけではなく、私たちの内側に神様が住んでくださる恵みの中にいます。


※無料の聖書サイト https://my.bible.com/ja/

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