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わたしの心は叫んでいる:聖書をめぐる旅 7/16

7/16(土)
 人間が叫ぶ時は、緊急事態の時です。もう自分の力ではどうにもならない、ある意味絶望の中で、出てくる呻き、懇願が叫びなのかもしれません。今日の聖書箇所で叫んでいるのは、人間ではありません。
 

ホセア書11章 

1イスラエルが子どものころ、
わたしは彼を息子のように愛し、
エジプトから連れ出した。
2それなのに、呼べば呼ぶほど彼はますます反逆し、
バアルにいけにえをささげ、偶像に香をたいた。
8ああ、わたしのエフライム。
どうして、あなたを捨て去ることができよう。
どうして見放せよう。
わたしの心は叫んでいる。
何としても、あなたたちを助けたい。
わたしはあなたたちのうちに住む聖なる者であって、
滅ぼすために来たのではない。
10人々は、主のあとについて歩くようになる。
わたしはイスラエルの敵に向かって
ライオンのようにほえ、
わたしの民は西方から震えおののきながら帰って来る。
11鳥の群れのようにエジプトから、
鳩のようにアッシリヤからやって来る。
こうしてわたしは、彼らを再び家に住まわせる。
これは主からの約束である。」


ホセア書12章

6さあ、神に立ち返り、
愛と公正の原理に立ちなさい。
いつも、あなたの神に期待しなさい。
8エフライムは自慢しています。
「私はこんなに金持ちになった。
すべて自分でもうけたのだ。」
しかし、富に罪を償うことはできません。
10わたしは預言者を遣わし、
多くの幻やたとえや夢で警告した。」
11それなのに、ギルガルの罪は相も変わらず、
公然と行われています。
畑のうねのように何列も祭壇が築かれ、
偶像へのいけにえのために使われています。
ギルアデも、偶像を拝む愚か者であふれています。

神様は叫んでいる
 叫びとは、人間の腹の底からの思い、声にならない呻きを声に出す懇願である。私たちの教会では、誰もいない海に向かって叫ぶことを推奨している。海で叫ぶのは、青春ドラマだけではない。これは、自分で覆いをしている心の中の出来事を神様の前に、さらけ出し、助けを呼ぶことだと理解している。

「正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、 彼らをそのすべての悩みから助け出される。 主は心の砕けた者に近く、 たましいの悔いくずおれた者を救われる。 」詩篇 34:17-18

 そういう私も先日オホーツクの海で叫んできた。
生まれた町、釧路、網走、富良野、札幌と生活してきたその場所その場所で、いろいろなことがあった。海に向かうと決めた車の中で、ボクが犯した罪、苦々しい想い、それらが次々と思い出された。誰もいない海に向かって叫んだ。不思議だが、海がよかったのだ。そして、神様はボクの心の隅々にまで、その愛を注いでくださった。

 今日の聖書箇所は、人間の叫びではなく、神様の叫びである。
こんなにも悲痛に神様が叫んでいる箇所がホセア書にあったとは、
ボクにとっての発見である。

「わたしの心は叫んでいる。
何としても、あなたたちを助けたい。」

義なる神様であり、愛である神様が心から思っていることは、
人間への命令ではなく、この「助けたい!」という一心である。
神様との和解の務めが私たちキリストのしもべにはあり、
この思いを伝えるために新しい命が与えられていると思います。
囚われ人を解放するために、今日も祈り、行動する者でありたい。
神様の領域を広げていきたい。

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