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彼は水のほとりに植えられた木 エレミヤ16章17章

「主よ、わたしの力、わたしの砦 苦難が襲うときの逃れ場よ。あなたのもとに 国々は地の果てから来て言うでしょう。 「我々の先祖が自分のものとしたのは 偽りで、空しく、無益なものであった。 人間が神を造れようか。 そのようなものが神であろうか」と。」
‭‭エレミヤ書‬ ‭16‬:‭19‬-‭20‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/jer.16.19-20.新共同訳

→人間が作った神と人間を作った神。一文字違うだけで、大きく意味が異なります。主こそ人間を作った神様です。そもそも、人間が神を作ることなどできません。

「主はこう言われる。 呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし その心が主を離れ去っている人は。 彼は荒れ地の裸の木。 恵みの雨を見ることなく 人の住めない不毛の地 炎暑の荒れ野を住まいとする。 祝福されよ、主に信頼する人は。 主がその人のよりどころとなられる。 彼は水のほとりに植えられた木。 水路のほとりに根を張り 暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。 干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない。」
‭‭エレミヤ書‬ ‭17‬:‭5‬-‭8‬ 新共同訳‬
https://bible.com/bible/1819/jer.17.5-8.新共同訳

→申命記の祝福と呪いの記載、そして詩篇の記載に似ていると思いました。私たち主を信じる者の内に、聖霊様が住んでくださるとは、命の源と愛の源を持っていることになります。もうどこかにそれを求めるために彷徨う必要はありません。

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