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神にとってどれほどの:聖書をめぐる旅 4/11

4/11(月)
 神の高さ、広さ、深さは計り知れません。しかし、そのような方が私たち一人ひとりの存在に大きな関心を寄せておられます。これこそ、神様の恵みです。世間が私たちに関心がなくても、神様は大きな関心を持って、一人一人を愛しておられます。 

ヨブ記35章 

4あなたに、また傍らにいる友人たちに
わたしはひとこと言いたい。
5天を仰ぎ、よく見よ。
頭上高く行く雲を眺めよ。
6あなたが過ちを犯したとしても
神にとってどれほどのことだろうか。
繰り返し背いたとしても
神にとってそれが何であろう。


 エリフの言葉です。神様にとって、人間の存在はちっぽけで
そのちっぽけな存在が罪を犯したところで、何の影響が神様にあるだろうか?と語っているように見受けられます。
しかし、神様にとっては、私たち虫けらのような存在一人のためにも、イエス様は十字架についてくださったことを感謝します。
神の存在は、偉大でそれをはかることはできませんが、その偉大なる方の関心はこの小さな虫けらのような私たち一人ひとりに向けられていることを感謝します。


イザヤ書10章

15斧がそれを振るう者に対して自分を誇り
のこぎりがそれを使う者に向かって
高ぶることができるだろうか。
それは、鞭が自分を振り上げる者を動かし
杖が木でない者を持ち上げようとするに等しい。
24それゆえ、万軍の主なる神はこう言われる。
「シオンに住むわが民よ、アッシリアを恐れるな。
たとえ、エジプトがしたように
彼らがあなたを鞭で打ち、杖を振り上げても。
25やがて、わたしの憤りの尽きるときが来る。
わたしの怒りは彼らの滅びに向けられる。
26万軍の主は、彼らに対して鞭を振るわれる
かつて、オレブの岩で
ミディアン人を打たれたように。
またエジプトでなされたように
杖を海の上に伸ばされる。

 ユダに対する、エジプトやアッシリアの存在は、神様の御手にある鞭です。
ユダに求められているのは、鞭を恐れるのではなく、鞭を握る存在である神様に目を向けなさいということかと思いました。
これから来る禍いを恐れず、悔い改めて、神様の民であることに立ち返ることが求められているように思いました。
昨日の、礼拝メッセージにもありましたが、
「あなた方は地の塩であり、世の光である。」
神さまが、私たちに持っている計画は、このアイデンティティに根差した生き方だと改めて思わされました。


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