今日、樺太・真岡で、8月22日
8月22日
〇熊笹峠 午前4時
ソ連軍の攻撃再開
真岡港ソ連艦隊からの艦砲射撃
航空機による爆撃
峠下約300mの森林から、陸上部隊の一斉進撃
その数およそ2000人
日本軍第4・第9中隊は手榴弾戦、白兵戦を繰り返しながら、攻撃を撃退
〇午前11時
羽母沢から転進した連隊砲中隊と塚原小隊の役70名が戦場に到着
熊笹峠を死守しようとする日本軍は、機関銃分隊や衛生兵に至るまで白兵突撃に投入し、陣地を守り抜こうとした。
〇ソ連兵指揮官
外套をまとい、軍旗のような旗のついた長い棒を持ってたつ。
長い棒で部下に指示を出す。
日本軍の反撃で部下が後退すると、その棒で逃げる部下を打ちながら叱咤し、
再び日本軍の陣地に向けて送り出す。
〇日本軍吉原小隊長
自分には敵弾は当たらない。
不死身であると、阿修羅の陣頭指揮
〇午後6時ころ
日本軍、逆襲から戻って部下を集約した際、浅野中隊長も迫撃砲の至近弾で
砲弾の破片を背から胸に受けて、戦死。
〇午後2時
菅原大隊長は、激戦数刻を経て三角標高427.7高地を中心とする地区に戦線を縮小。
〇午後6時
熊笹峠に展開していた部隊は、移動を完了。
〇夕刻
歩兵第25連隊長は師団からの「俘虜となるも停戦せよ」命令を受領した。
命令を受け、各部隊へ下達したけれど、中々伝わらず
宮下大尉が菅原大隊に派遣されることになり、その任を全うした。
〇午後8時20分
連隊長は、露語をよくする第一大隊村山中尉を軍使に選び、逢坂を出発させた。
軍使一行の自動車上に大白旗を立てての出発
〇逢坂西方4000メートルの道路の屈曲点付近
村山軍使ら3人射殺
2人が助かった
一人が持っていたメモ
「午前0時、ラッパを吹かせながら連隊長自らが峠に向かってくるように」
〇約束の場所
山澤連隊長は、自ら行こうとするが、石黒副官がこれを止める。
通訳、ラッパ手を向かわせた。
ソ連軍は、あくまでも「連隊長自ら来れ」
連隊長、自ら交渉に向かい、直接交渉
相手はロシア軍中佐
それらを囲むロシア軍約50名
ようやく停戦は成立した。
8月23日 午前2時のことである。
(参考文献:証言・南樺太 最後の17日間 藤村建雄著)
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