神様が選ばれる人:聖書をめぐる旅 12/22
12/22(水)
歴代誌上23章、箱を担ぐ役割を終えた、レビ人は感謝と賛美をささげる新しい役割を得ました。詩編101篇は、人間を選ぶ神様の視点について考えてみました。
歴代誌上23章
24以上がその家系によるレビの子ら、すなわち一人一人名を挙げて数えられ、登録された家系の長で、主の神殿の奉仕を職務とする二十歳以上の者であった。 25ダビデは言った。「イスラエルの神、主はその民に安らぎを与え、とこしえにエルサレムにお住まいになる。 26レビ人はもはや幕屋とその奉仕に用いるすべての祭具を担ぐ必要がない。」
30更に彼らは、毎朝主に感謝し、賛美し、夕べにも同様に行うこと、 31また安息日、新月祭、および祝祭日には、定められた数を守って常に主の御前にささげる、主への焼き尽くす献げ物すべてについても責任を負った。
→イスラエルの民が荒れ野を進んだときも、ヨルダン川を渡った時も、レビ人の役割は神様の箱をお運びすることでした。しかし、エルサレムに
神殿ができて、神様の住む場所が決まると、レビ人は運ぶことから解放されて、毎日主に感謝して賛美をする役割になりました。
一つ何かをやめることで新しいことが始まるのかもしれないとおもいました。私が止めたことは、他の人がやっていることをうらやましく思うことです。それを止め、自分にしかできないこととして、チャレンジしているのがこのnote記事です。大変ではありますが、充実した毎日です。
詩編101編
6わたしはこの地の信頼のおける人々に目を留め
わたしと共に座に着かせ
完全な道を歩く人を、わたしに仕えさせます。
7わたしの家においては
人を欺く者を座に着かせず
偽って語る者をわたしの目の前に立たせません。
→神様は人を選ばれる方です。
私がわかっていることは、神様が選ばれるのは、自分の正しさを主張する人ではなく、自分の弱さを認められる人、自分の不完全さを認められる人かと思います。
かくいう私も、仕事も人間関係も未来にも希望を持てなくなった時、初めて見えてきた景色がありました。
神の子なる方が、最もへりくだって、十字架で私たち人間の負うべき罪を背負って下さったことから、学びたいと思いました。