どうして、純金は光沢を失った?6/10
6/10(金)
純金なる役割が失われ、本文ではひどい悲劇が起こっています。
その理由は、預言者や祭司の罪のためとあります。今日、祭司とは誰でしょうか?
哀歌4章
預言者や祭司たちの罪のため
預言者と祭司の役割を調べてみると、預言者は神様から預かった言葉を人々に伝える役割、祭司はかつては神様に生贄をささげる役割でした。
今日、イエス様が十字架につけられ、神殿の垂れ幕が引き裂かれてからは、祭司は必要なくなりました。信者はイエスキリストをとおして、直接神様につながることが出来るようになりました。そして、私たち信じる者が、祭司の役割をするように召されていることがわかります(万人祭司)。そして、私たちには「生き方を通し、言葉を通して、神に喜ばれる霊のいけにえを捧げる」責務が与えられています。この時代の祭司を非難することよりも、私たち自身の襟を正すために、この記載があるのかなと思います。
<参考資料>万民祭司とはどういう意味ですか?
哀歌5章
「天は我らを見放した?」
このフレーズは、聴いたことがあります。
そうです映画「八甲田山」の番宣でつかわれていたセリフです。
実際のところ、八甲田山で遭難した軍隊のリーダーが発した言葉で、
この言葉がさらに、混乱している軍隊の士気を下げたといいます。
神様が私たちを見放したなら、私たちは生きている意味を失います。
神様こそ私たちの生きる力です。
私の目にあなたは、高価で貴い・・・そう見てくださる方が
私たちの創り主です。
独り子イエスキリストを十字架につけてまで、私たちを罪から救ってくださった方が私たちの創り主です。
神様は、決して諦めず、見放しもしません。
バビロンに滅ぼされたエルサレムでさえ、回復の時が計画されていることに
感謝します。
<参考資料>読売新聞オンライン
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