あなた自身の井戸から水を汲み:聖書をめぐる旅 2/14
2/14(月)
おはようございます。新しい朝がはじまりました。ペルシャの王に仕えていたネヘミヤが、故郷の城壁を修復するために旅立ちます。そこには、修復を妨害する複雑な事情がありましたが、主の計画、そして王の言葉によって、ネヘミヤは前進します。箴言5章は、夫が妻以外の性的関係を求める姿を、主とイスラエルの民の関係に重ねて語られています。
ネヘミヤ記2章
2王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」
5王に答えた。「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」
7更に、わたしは王に言った。「もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。 8また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。」神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。
12夜、わずか数名の者と共に起きて出かけた。だが、エルサレムで何をすべきかについて、神がわたしの心に示されたことは、だれにも知らせなかった。
20そこでわたしは反論した。「天にいます神御自ら、わたしたちにこの工事を成功させてくださる。その僕であるわたしたちは立ち上がって町を再建する。あなたたちには、エルサレムの中に領分もなければ、それに対する権利も記録もない。」
→ネヘミヤはリーダーですが、王に仕えるものであることにも注目したいと思います。私たちも人生で、この世の職場で働く者ですが、職場の上司や長に仕える者でもあります。
ネヘミヤが、故郷の荒廃を立て直すために出発できたのも、職場の上司や長の信頼を得ていたからできたことでもあります。
今、与えられた職場で、仕えることは神様の計画につながるものでもあると思いました。
エルサレムの崩れた城壁を修復するためにやってきたネヘミヤですが、その計画を明らかにしていません。これは、神殿の城壁を再建することを語ると、それを攻撃する勢力がはびこっていた故に、タイミングを見ていたのかもしれません。右手のすることを左手に教えるなという、聖書の言葉を思い出します。神様の守りと、王の言葉をもって、進めなければならないほど、否定的な考えや敵の攻撃が大きかったと推察します。事実、彼が「やろう!」奮い立った後に、あざ笑うかのように敵の攻撃があります。敵の攻撃は、嘘でネヘミヤを反逆者に仕立て上げることでした。そして、ネヘミヤの反撃は、天にいます神自らが工事を成功させるということ、敵にはエルサレムに領分も権利もないことを宣言しています。
神様が私たちに与えてくださった夢を、敵は嘘と偽りでそんなのは無理だ。お前には力がないと攻撃してきますが、私たちは、ネヘミヤのようにこの働きが主から出ているものであることを宣言し、その計画に悪魔の領分も権利もないことを宣言し、前進する者でありたいと思います。
箴言5章
3よその女の唇は蜜を滴らせ
その口は油よりも滑らかだ。
4だがやがて、苦よもぎよりも苦くなり
両刃の剣のように鋭くなる。
15あなた自身の井戸から水を汲み
あなた自身の泉から湧く水を飲め。
16その源は溢れ出て
広場に幾筋もの流れができるであろう。
21人の歩む道は主の御目の前にある。
その道を主はすべて計っておられる。
→
男性が、異邦の女のとりこになることを禁じているだけではなく、姦淫は真の神である主以外の偶像を拝むことを現しています。
この世的には、受け入れられやすいかもしれませんが、
それは、体に入ると苦くなり、相手ではなく自分をも傷つける両刃の剣となると。
神様と人間との関係を、神様は結婚の例えで語られており、神様との関係がありながら、土着の民族の偶像に走ることを主なる神様はきつく禁じておられます。それは、主が嫌われていることであり、人間を縛るものであるからです。
もう一つ、自分の井戸から水を汲みなさいというのは、自分の妻との関係を語っているだけでなく、主との関係を語っているという解釈をする先生もおられます。
主との関係があれば、他人の井戸を掘る必要もありません。主ご自身が泉なる方であるからです。
水は、天と地をつなぐ物質であることから、神様の道をまっすぐにし、そこから恵みを受け取りなさいという意味があることを知りました。
箴言、表面上の言葉の意味と、その背景にある聖書の世界が語ること、非常に奥深いものがあることを感じます。
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