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力のかぎり踊った:聖書をめぐる旅 9/25

9/25(土)
今朝の札幌は、素晴らしい秋晴れです。
サムエル記下6章では、神様の箱を迎え入れたダビデが、踊りまくっています。
詩編13章では、同じダビデの詩ですが、神様を探し求めている叫びがあります。

サムエル記下6章

神の箱のゆえに、オベド・エドムの一家とその財産のすべてを主は祝福しておられる、とダビデ王に告げる者があった。王は直ちに出かけ、喜び祝って神の箱をオベド・エドムの家からダビデの町に運び上げた。 13主の箱を担ぐ者が六歩進んだとき、ダビデは肥えた雄牛をいけにえとしてささげた。 14主の御前でダビデは力のかぎり踊った。彼は麻のエフォドを着けていた。 15ダビデとイスラエルの家はこぞって喜びの叫びをあげ、角笛を吹き鳴らして、主の箱を運び上げた。

→イスラエルとユダの王となったダビデは、神様の箱を都に迎え入れた。ここでは、ダビデが箱の前で、喜び力の限り踊ったとあります。喜びの叫びをあげ、角笛を吹きならした、と。
 教会で神様を賛美するときに、厳粛ではなく、喜びがあふれるというのは、このダビデの姿に似ていると思いました。ダビデの喜び踊る姿を妻のミカルは冷めた目で見ていますが、世の中の人がクリスチャンの賛美を見る目はこのようなものかもしれません。ただ、神様との出会いは、このようなものなのかもしれません。
 いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことについて感謝しなさい。という御言葉を今日も実践しようと思います。


詩編13章

いつまで、主よ
わたしを忘れておられるのか。
いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。

→神様と深い関係にあったダビデの詩です。ダビデですら、神様が遠く離れてしまったように感じる時があったようです。それも、たびたび。
今日、わたしの手元には聖書があり、困ったときにそれを開き、神様の言葉を受けることができます。また、聖霊様に祈る恵みが与えられていることに感謝します。神様が遠くに行かれたのではなく、人間である私たちの方が、神様に背をむけているのかもしれません。困ったときは、上を見上げようというのが、教会の仲間から学んだ言葉です。神様は、すぐそばにおられ、応えてくださる方です。聖書、祈り、聖霊様、ありがとうございます。

 今日も、noteをご覧いただいた皆様の人生に喜びが溢れますように!

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