わたしのことばを携えて行け:聖書をめぐる旅 6/12
6/12(日)
今朝の目覚めは、カッコーの声でした。札幌を離れて、地方に来ています。朝の時間から、この地域の農家さんはもう動いています。エゼキエルに任された役割、預言的行動について考えてみました。
エゼキエル書3章
命令はさらに続きます。「人の子よ、あなたをイスラエルの民に遣わす。わたしのことばを携えて行け。
エゼキエル書 3:4 JCB
だから、わたしもあなたを彼らと同じように、あつかましい頑固者にした。 あなたの額を岩よりも堅くした。しかし、彼らがどんなにしぶとい反逆者でも、恐れてはならない。どんなにいやな顔や怒った顔をされても、たじろいではならない。」 その方は続けて言いました。「人の子よ、まず、わたしのことばをすべて心の奥底に収め、注意深くそれに聞き従いなさい。
エゼキエル書 3:8-10 JCB
「人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの見張り役とした。わたしの民に与える警告をただちに伝えなさい。 わたしが悪者に、『おまえに死の罰を加える。悔い改めて、自分のいのちを救え』と伝えてほしいとき、そのように警告しないなら、彼らは自分の罪のために死ぬが、わたしはあなたを罰する。彼らの血の責任をあなたに問う。 だが、あなたがいくら警告しても彼らが罪を犯し続け、いっこうに悔い改めないなら、彼らは自分の罪のために死ぬ。そして、あなたには責任がない。あなたはできるかぎりのことをしたのだから。
エゼキエル書 3:17-19 JCB
だが、わたしがあなたに語るときは、その舌を自由にし、話せるようにする。彼らに『神である主はこう言う』と言いなさい。聞きたい者には聞かせ、聞きたくない者には聞かせてはならない。彼らは反逆者だからだ。
エゼキエル書 3:27 JCB
神様はエレミヤを頑固者にし、見張り役として、神様の言葉を伝える役割を与えました。それは、その言葉を伝える相手が嫌な顔をすることが想像され、エレミヤに託される言葉が彼らにとって、必ずしも耳障りのよいものではないからです。
しかも、見張り役とは、警告せずに相手が悔い改めない罰はあなたに問うという厳しいものでした。罪を犯した人が罰を受けるのはわかりますが、
罪を犯した者に警告しなかった預言者が罰せられることになります。
終わりの時代、耳障りのよくない、みんなが顔を曇らせる話題を伝える役割が私たちにもあるように思わされました。
時が善くても悪くても、福音を宣べ伝える・・・イエス様のくびきは負いやすいとありますから、今日も聖霊様と共に歩みたいと思います。
エゼキエル書4章
人の子よ、大きな一枚の粘土板を置いて、その上にエルサレムの町の地図を描きなさい。 町を攻撃するために築かれるとりで、町を包囲する敵軍の陣営、さらに城壁の回りに破城槌(城門を突破する兵器)を描きなさい。 また、あなたと町との間に、鉄の壁のように一枚の鉄板を立てなさい。こうして、敵軍がどのようにエルサレムを攻略するかを表現して見せるのだ。わたしが命じた一つ一つのことには、それぞれ特別の意味がある。というのは、それはイスラエルの民に対する警告だからだ。
エゼキエル書 4:1-3 JCB
毎日、たるから粉を取り出し、大麦のパン菓子を作りなさい。みんなの見ている前で、乾いた人糞の火の上で焼いて、そのパンを食べなさい。
エゼキエル書 4:12 JCB
預言的行動
この章ではエゼキエルは不思議な行動をとっています。
大きな粘土板にエルサレムの地図を描き、そこに町を攻撃するとりで、敵の陣営、破城槌(城門を突破する兵器)を描くこと。これは、まるで敵の参謀本部の作業です。また、パン菓子をつくり、それを人糞を乾かした日の上で焼いて食べなさい・・・これはとんでもない嫌なことが起こる警告でもあります。神様のメッセージを行動として表すのが預言的行動です。
大変な困難から立ち上がる信仰の先輩の姿から、私たちは主が共におられる人は、倒れても立ち上がることができることを学ぶことができます。
今日、何よりもキリストご自身が預言的な行動として、示されたことは、十字架につかれたことだと思いました。私たちの罪は、それほど重く、死に値するモノであることをイエス様は、行動で語っておられます。
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