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自分の命をかけて:聖書をめぐる旅 3/2

3/2(水)
エステルは、断食の後、勇気を出し、自分の命をかけて王の前に進み出ました。箴言は、一人の人の中にある可能性を考えてみました。 

エステル記5章

7「私の望み、私の願いはと申しますと」とエステルは言った。 8「もし王のお心に適いますなら、もし特別な御配慮をいただき、私の望みをかなえ、願いをお聞き入れくださるのでございましたら、私は酒宴を準備いたしますから、どうぞハマンと一緒にお出ましください。明日、仰せのとおり私の願いを申し上げます。」

 王に金の杓によって願いを聞いてもらえることになったエステルは、今日の酒宴、そして明日の酒宴によって、その願いを伝えるという作戦をとります。明日の酒宴には、王とハマンだけで来てくださいと。
 望みをすぐに伝えずに、時間を置くという戦略は、望みが何であるか?に注目さえ、ハマンにとっては、自分自身の優越感に浸るという誤解につながりました。
 この章では、モルデカイの姿が、王宮の門の前で描かれています。
これはハマンの自信に対して、うずくまりただ主に祈り、最後の頼みの綱であるエステルが道を開くことだけを願っていたようににも見えます。
ハマンがこのモルデカイをつるすために、作った柱はおよそ25mといいますから、どれだけの憎悪が彼に向けられていたかがわかります。モルデカイ、そしてユダヤ人にとっての最大のピンチです。


箴言21章

22知恵ある人はひとりで勇士たちの町に上り
その頼みとする砦を落とすこともできる。

今日はこの箇所に目が留まりました。
これは、ヨナタンが崖をのぼって従者と2人で敵陣に乗り込み、大混乱をもたらしたことや、
ペリシテ軍のゴリアテに対して、少年ダビデが闘いを挑み、特別な武器ではなく、普段羊飼いとして使っている石投げ器で、相手を打ち負かしたことを思い出させます。
ダビデが闘いの前に宣言したのは、これは主の戦いである、ということ。
主を信じる人が、一人は千人、二人は万人を倒すことができるという聖書箇所もありました。
恵みを知る者として、今日も祈りつつ前進したいと思います。

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