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どのような苦労にも:聖書をめぐる旅 2/23

2/23(水)
どこに住むかという問題は、人間にとって重要です。エルサレムに住む人たちはどんな思いで神殿の町に住んだのでしょう?
箴言14章には、私たちが日々の仕事、日々の家事、日々の介護で苦労することの意味が語られていました。
 

ネヘミヤ記11章 

1民の長たちはエルサレムに住んでいた。ほかの民はくじを引き、十人のうち一人が聖なる都エルサレムに来て住み、残りの九人が他の町々にとどまるようにした。 2民は、進んでエルサレムに住むすべての人々を祝福した。

どこに住むか?
あえて、神殿に近いところに住むとはどういう意味があるのか?
神様はそのことをどう考えたのか?
 そんなことを考えているとふと、江戸時代の参勤交代のことを思い出しました。徳川家光の時代に制度化されて、江戸に1年、地元に1年で4月にはそれが入れ替わることが義務化されていました。江戸には、妻子ら多くの家臣団が常駐することになり、江戸は大いに栄えました。この制度は、幕府が地方の大名を統制すると同時に、諸国と大阪と江戸という流通路ができ、中央文化の地方普及にも貢献したそうです。
 さて、エルサレムにもどり、神殿のある城壁の町に住むことは神様のお膝元に仕える意味があったのだと思います。民の長が住み、くじで決まった10人に1人の人が住むことができたというのは、それだけ貴重で、喜ばしいことだったの思います。神殿のそばに住むということは、喜んで主に仕えることと、生活そのものが主とともにあることを喜んでいる姿のように思います。ある意味、現代のキリスト者が内在する聖霊様と共に歩むことと重なります。江戸の義務ではなく、喜びです。


箴言14章

23どのような苦労にも利益がある。
口先だけの言葉は欠乏をもたらす。

今年の札幌の雪は、異常です。
適度な雪は、運動になったり、学校が休みになったり、非日常が味わえる、ちょっと楽しいものです。
車が埋まると、どこからともなく手伝ってくれる人が現れ、
知らぬ人どうしが力を合わせ、なんとか脱出できると、雪国っていいなあと思います。
しかし、雪捨て場がなくなり、道路も行きかえなくなるほどになるとなんというか穴倉生活のようです。
毎日雪かきをしながら、この労力を別なことに使えたらなあ・・・とぼやきたくなります。
「どのような苦労にも利益がある」
主の御言葉によると、本日の雪かきもがんばれそうです。
もう少し、春になると雪がとける時期がやってきます。


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