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神を畏れ敬っているのに:聖書をめぐる旅 3/29

3/29(火) 
ヨブ記はかみしめると、スルメのように味がでてくるようです。
人間が神様を否定したくなる心境がちょっとわかりました。
雅歌は、恋の病の話です。花嫁は、もう花婿しか見えません。

ヨブ記22章 

4あなたが神を畏れ敬っているのに
神があなたを責め
あなたを裁きの座に引き出されるだろうか。
5あなたは甚だしく悪を行い
限りもなく不正を行ったのではないか。
21神に従い、神と和解しなさい。
そうすれば、あなたは幸せになるだろう。
25全能者こそがあなたの黄金
あなたにとっての最高の銀となり
26あなたは全能者によって喜びを得
神に向かって顔を上げ
27あなたが祈れば聞き入れられ
満願の献げ物をすることもできるだろう。

 今日のところを読んでいて、神様と人間が対峙することを人間は極力さける意味が、わかったような気がします。

「ヨブ、あなたは神様を敬っているというが、このざまは何だ!」
「神様を本当に敬っている者が、裁きの座に引き出されるだろうか!」

つまり、人間は、神様との比較のところに出された途端、いつも善は神様で、善ではない方が人間となることに気付いているのだと思いました。
だから、人間は極力神様を否定し、自分の力で生きようとし、この世界の歴史からも神様を閉め出し、偶然に自分が生まれた・・・と言いたいのかもしれません。

ヨブの友がここで語っていることは、キリストを信じていない人たちにとって、有効な証言です。神様と和解することを勧めているのですから。
でも、神様を信じている人にこのことを語ると、あなたの信仰は偽物だ、だから禍があるのだ・・・というニュアンスに聞こえます。ヨブ記は、私たちの信仰の表面的なところに、NO!を突きつけ、根っこの部分を問うているような気がします。そして、自分の根っこを見れば見るほど、どんな人にも罪の性質の痕跡があることに気付きます。神様は、ここに触れたいのかもしれません。

雅歌5章

8エルサレムのおとめたちよ、誓ってください
もしわたしの恋しい人を見かけたら
わたしが恋の病にかかっていることを
その人に伝えると。
10わたしの恋しい人は
赤銅色に輝き、ひときわ目立つ。
11頭は金、純金で
髪はふさふさと、烏の羽のように黒い。
12目は水のほとりの鳩
乳で身を洗い、形よく座っている。
13頬は香り草の花床、かぐわしく茂っている。
唇はゆりの花、ミルラのしずくを滴らせる。

 恋の病と言いますが、
なぜ人間はこの恋に陥ると目が見えなくなるのでしょうか。
ただ、ここでは花嫁なる教会は、自ら恋の病にかかっていることを
告白しています。
もう、花婿しかいない、
あなたしか目に入らない・・・という病のようなものです。
花嫁なる教会にとって、花婿イエス様は、
赤く輝く、栄光に満ちた方、
頭は純金、瞳は鳩のよう、
ほおは香り、唇は瑠璃の花、
宝石に満ちた
素晴らしい方です。
 先日の礼拝メッセージで、
結婚前の女性は美しいという話がありました。
これは、私も同感です。メッセージの中では、ある種の緊張感の話がありました。そして、わたしは決心した女性は美しいのかもしれないと思いました。
マラナ・タ!主よ来てください。
花嫁に求められるのは、花婿がいつ来られても、扉をあけて出ていく決心、心構えかと思わされました。


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