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苦難の意味 聖書をめぐる旅 4/12

4/12(火)
 それはいろいろあるかも知れませんが、苦難を通ってよかったことは、その苦難の中にいる人の気持ちが、ちょっとばかりですが、わかることです。決して同じではありませんが、「辛かったよね」、と隣に近づくことができることです。
 

ヨブ記36章

8捕われの身となって足枷をはめられ
苦悩の縄に縛られている人があれば
9その行いを指摘し
その罪の重さを指し示される。
11もし、これに耳を傾けて従うなら
彼らはその日々を幸いのうちに
年月を恵みのうちに全うすることができる。
12しかし、これに耳を傾けなければ
死の川を渡り、愚か者のまま息絶える。
15神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し
苦悩の中で耳を開いてくださる。
19苦難を経なければ、どんなに叫んでも
力を尽くしても、それは役に立たない。
21警戒せよ
悪い行いに顔を向けないように。
苦悩によって試されているのは
まさにこのためなのだ。

 今日のエリフの言葉は、わたしにも伝わります。苦難の最中は、何の意味があるのかわかりませんが、後になって振り返ると、この時のためだったのか、と気付くことがあります。

たくさんの書簡を書いたパウロもその多くを牢獄で書いていました。
先日情熱大陸に出ていた人気落語家は、カラオケボックスで、一人稽古をして力をつけていました。私もアルバイトの試験に落ちて、今ある仕事を大事にしようと気付きました。

ヨブの苦難には比較になりませんが、苦難の中を通らされる時は、神様に用いられる準備の時かもしれません。
苦難が大きいほど、それを乗り越えた時の喜びも大きいです。
苦難を突き抜けて、歓喜に至る。
ベートーベンの第九の世界に入っていく訳です。


イザヤ書11章

1エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
2その上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
9わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。
10その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。
12主は諸国の民に向かって旗印を掲げ
地の四方の果てから
イスラエルの追放されていた者を引き寄せ
ユダの散らされていた者を集められる。

 木の切り株の横から出てくる新しい芽のことをひこばえと言うのだと思います。
ダビデのひこばえが、平和の王となり、
そのダビデのひこばえの旗印の元に国々は集い、地の四方から追放されていたイスラエルの民が集めるといいます。

このダビデのひこばえとは、後に自らの命を全ての人の罪の代償として十字架に捧げ、死刑の中でも最も苦痛の大きい刑を受けられた方です。この苦難の故に、異邦人もイスラエルの民も、和解できるのかもしれません。
この方は、目的のために、喜んでご自身の命を差し出されるお方です。我らの主なるお方です。
ハレルヤ!

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