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私 を 刺し殺し て くれ:聖書をめぐる旅 9/19

9/19(日)今日の札幌は光まぶしい秋晴れです。
サムエル記上が最後の章になりました。ここでは、サウルの最後が描かれています。また、詩編7章では、私たちが何故、復讐から解放されているのかのヒントが記されていました。


サムエル記上31 章

さて、 ペリシテ 人 は イスラエル と 戦っ た。 イスラエル の 人々 は ペリシテ 人 の 前 から 逃げ、 ギルボア 山 で 刺さ れ て 倒れ た。
サウル は 道具 持ち に 言っ た。「 おまえ の 剣 を 抜い て、 私 を 刺し殺し て くれ。 さも ない と、 あの 無 割礼 の 者 たち が やって来 て、 私 を 刺し殺し、 私 を なぶり もの に する だろ う。」 しかし、 道具 持ち は 非常 に 恐れ て、 とうてい その 気 に なれ なかっ た。 それで サウル は 剣 を 取り、 その 上 に 倒れ込ん だ。
彼ら は サウル の 武具 を アシュタロテ の 神殿 に 奉納 し、 彼 の 死体 は ベテ・シャン の 城壁に さらし た。

→サムエル記上の最後は、サウルの最後で締めくくられています。ペリシテとの戦いで、サウルの子ヨナタンも死に、サウルは自ら剣の上に倒れこんで死んでいます。権力者の場合、敗北が即死につながるのが悲しいところです。
 そして、ダビデの予想のとおり、神様に背いたサウロは、敵との戦に敗れ、死を迎えます。サウルとダビデ、神に油注がれた2人ですが、先に選ばれた者が次に選ばれた者を妬み、次に選ばれた者が逃げ惑う。サムエル記上の最後では、先に選ばれた者が死に、次に選ばれた者はまだ敵の領地にいます。さあ、ここからイスラエルはどうやって回復するのでしょうか?


詩編7章

私 の 盾 は 神 に あり   神 は 心 の 直ぐ な 人 を 救わ れ ます。
神 は 正しい 審判 者   日々  憤る 神。

→まず、神様が私の盾になってくださることを感謝します。
どんな武器も、この盾を刺し通すことはできません。
そして、もう一つ。
神様は正しい審判者です。
私たちは、誰かに攻撃されたり、いやなことをされたり、その反撃をする必要がありません。
審判者なる神様が、正しい裁きをその人になさるからです。
私たちは、苦々しいモノを心にもって生きる必要がありません。
復讐する、仕返しすることから解放された人生はすばらしいです。
「神様にゆだねます」という祈りは、自分から神様にバトンを渡し、
自分は神様の計画に集中します、という宣言でもあります。
私たちに対する攻撃や、嫌がらせに神様は、次のような行く末を用意されています。

彼 は 穴 を 掘っ て   それ を 深く し   自分 が 作っ た 穴 に 落ち込み ます。 その 害悪 は 自分 の 頭上 に 戻り   その 暴虐 は 自分 の 脳天 に 下り ます。

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