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天には目を向けない:聖書をめぐる旅 7/14

7/14(木)
 おはようございます。本日もホセア書の2章から学びました。
神様が求めておられるのは、人間との霊の交わり、それこそ命の源のように思いました。 


ホセア書7章 

2イスラエルの民は、
わたしが見ていることなど気にもかけない。
その罪深い行いが、
あらゆる面から彼らの正体をあばいている。
わたしはそれをすべて見ている。
10ほかの神々を自慢することで、
公然と自分を罪に定めている。
それでも自分の神のもとには帰らず、
神を見つけようともしないのだ。
13わたしを捨てたわたしの民は災いだ。
わたしに罪を犯したのだから滅びうせよ。
わたしは救い出したかったが、
彼らは強情で、真理を受け入れようとしなかった。
16彼らはあたり一帯を見回すが、
いと高き神がいる天には目を向けない。
まるで、いつも的をはずす、曲がった弓のようだ。
指導者たちは、わたしへの傲慢な態度のために
敵の剣に倒れる。
こうして全エジプトが彼らをあざ笑うようになる。

ホセア書8章

1警告を発せよ。
敵が来る。
はげたかのように、神の民を襲って来る。
彼らがわたしとの契約を破り、
わたしのおきてに背いたからだ。
4イスラエルはわたしの同意なしに、王や君主を立てた。
金や銀で偶像を作り、それを拝んで、
わたしの助けをはねのけた。
14イスラエルは大きな宮殿を多く建て、
ユダは町々の防備を固めた。
しかし、自分たちを造った方を忘れてしまった。
だから、わたしはそれらの宮殿に火を送り、
それらの要塞を燃やしてしまう。

主への畏れ
 神様はイスラエルの民が神様をないがしろにしていることを、指摘しています。エデンの園で蛇に騙されて、食べてはいけない木の実から食べたのは、神様の言葉よりも蛇に語らせたサタンの言葉を上にしてしまったことの結果です。そして、彼が食べたその木の実こそ、神様の命の実ではなく、自分で善悪を決める知識の木の実でした。それゆえ、神様に聞かずに自分の良いと思われることを行い、神様には背を向けてしまうのだと思います。本来、神様の声を聞いてエデンの園で過ごしていた人間は霊的に死んでしまいました。
 7章16節に、あたりを見回すが、神様がいる天を見上げることをしない、とあります。主に贖われた者は、八方ふさがりになることがあっても、天に目を向けることができます。すべて祈りに導くものはよしという話をする牧師さんもいます。私たちにとっては、困難は神様との協働のチャンスであり、天国の知恵をいただくきっかけになります。そして、地上で生きる私たちにとって、この神様を畏れ、第一にする歩みは、エデンの園の神様と人間の関係をこの地で表すことだと思います。
 「主を畏れることは、知恵のはじまり」(箴言1:7)


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