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一人の人を選んで見張りとする:聖書をめぐる旅 6/27

6/27(月)
 私たちは実を実らせるために生まれました。
しかし、エデンの園を追い出された原因となる罪の性質は私たちを自分が一番だと思わせています。創造主なる方は、一人でも多くの人が神様に立ち返ること、救われることを望んでいます。  

エゼキエル書33章 

1主の言葉がわたしに臨んだ。 2「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。わたしがある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。
6しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、血の責任をわたしは見張りの手に求める。
7人の子よ、わたしはあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたが、わたしの口から言葉を聞いたなら、わたしの警告を彼らに伝えねばならない。
11彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
31そして、彼らはあなたのもとに来る。民は来て、あなたの前に座り、あなたの言葉を聞きはするが、それを行いはしない。彼らは口では好意を示すが、心は利益に向かっている。 32見よ、あなたは彼らにとって、楽器にあわせて美しい声でうたうみだらな歌の歌い手のようだ。彼らはあなたの語ることを聞くが、それを行いはしない。 33しかし、そのことが起こるとき――見よ、それは近づいている――彼らは自分たちの中に預言者がいたことを知るようになる。」

見張りの角笛
 神様が剣を送る国に、見張りを配置されました。
そして、見張りが角笛を吹いても、警告を無視した者には、自分の罪をおわせます。しかし、見張りが角笛を吹かずに、警告を受けぬままに命を奪われた責任は見張りにおわせるとしました。
神様が警告を発するのは、悪人が滅びるためではなく、立ち返ることを望んでいるからです。
今日、この見張りは誰か?といいますと、私たちキリスト者になるのではないかと思わされております。

 エゼキエルは、これからバビロンに征服されるエルサレムに警告しましたが、今日キリスト者がうけとっている警告とは、
この世の終わりがくることです。7年間の大患難時代が来て、この地上にイエス様が統治する時代がきます。
そして、すべての人が白い御座の前で、生前に行ったことの報いを受ける時が来ます。
「時は満ち、神の国が近づいた。悔い改めて、主の福音を信じなさい。」
これは、現在私たちが人々に伝えるように託されている角笛の響きです。


エゼキエル書34章

8わたしは生きている、と主なる神は言われる。まことに、わたしの群れは略奪にさらされ、わたしの群れは牧者がいないため、あらゆる野の獣の餌食になろうとしているのに、わたしの牧者たちは群れを探しもしない。牧者は群れを養わず、自分自身を養っている。
11まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。 12牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。わたしは雲と密雲の日に散らされた群れを、すべての場所から救い出す。
21お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。 22しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。
23わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。 24また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。
27野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。
31お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である」と主なる神は言われる。

牧者がいない
 主はエゼキエルを通して、真の牧者がいないことを指摘しています。
イスラエルの牧者は、羊のことではなく、自分自身を養うことしか考えていません。そこで、主は真の牧者である方を遣わすことを宣言しています。この方こそ、のちにエルサレムに遣わされるイエス様です。
 また、羊と羊の間も主は指摘しています。羊の間でも、強い者が弱い者を押しのけている、と。悲しいかな、人間の性質は本当に醜いものです。
イエス様による救いなしに、私たちは教育や訓練でまともな生き方はできません。イエスキリストが私たちの罪のために、十字架で死に、葬られ、復活してくださったという恵みの故に、新しい人生を歩むことができます。
 あなたは、救われていますか?それとも、これから救われる方ですか?

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