見出し画像

あのころ、:聖書をめぐる旅 4/5

4/5(火)
あのころ、確かに若かった。
あのころはよかった。
しかし、いくら振り返っても過去はもどってこない。
あるのは、今だけです。
今日が恵みの日、今日が救いの日です。

ヨブ記29章

1ヨブは言葉をついで主張した。
2どうか、過ぎた年月を返してくれ
神に守られていたあの日々を。
3あのころ、神はわたしの頭上に
灯を輝かせ
その光に導かれて
わたしは暗黒の中を歩いた。
4神との親しい交わりがわたしの家にあり
わたしは繁栄の日々を送っていた。
5あのころ、全能者はわたしと共におられ
わたしの子らはわたしの周りにいた。
22わたしが語れば言い返す者はなく
わたしの言葉は彼らを潤した。
23雨を待つように
春の雨に向かって口を開くように
彼らはわたしを待ち望んだ。
25わたしは嘆く人を慰め
彼らのために道を示してやり
首長の座を占め
軍勢の中の王のような人物であった。

 ヨブにとっての悲劇は、物質や人間関係から絶たれたことよりも、主なる神様との関係が断たれたことだと思いました。
あのころ、神様と共に歩んでいたはずなのに、いつの日か
神様が一緒に歩んでくれなくなった、というのがユダの悲劇だと思います。

 十字架のイエスキリストは次のように叫んでいます。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」
イエスキリストは、十字架刑の痛みだけでなく、神様から見捨てられるという痛みを経験されています。
それは、人間が決して神様から見捨てられないように、身代わりになられたのです。
ある意味、この神様との関係を断たれたヨブは、救い主イエスキリストを予表しているような存在なのかもしれないと思いました。
ヨブは、その多くの場所で、文句ばかり言っているようですが、
本当は、神様と共に歩み神様の祝福を大いに受けていた存在でした。

イザヤ書4章

2その日には、イスラエルの生き残った者にとって主の若枝は麗しさとなり、栄光となる。この地の結んだ実は誇りとなり、輝きとなる。 3そしてシオンの残りの者、エルサレムの残された者は、聖なる者と呼ばれる。彼らはすべて、エルサレムで命を得る者として書き記されている。
5主は、昼のためには雲、夜のためには煙と燃えて輝く火を造って、シオンの山の全域とそこで行われる集会を覆われる。それはそのすべてを覆う栄光に満ちた天蓋となる。 6昼の暑さを防ぐ陰、嵐と雨を避ける隠れ場として、仮庵が建てられる。

 その人は、イエスキリストが地上に再臨する時です。
主の若枝と呼ばれているのは、ダビデのひこばえ、イエス様のことだと思います。そして、地上にのこりイエスキリストを証ししている者たちが、命を得る者として記されています。
昼は雲の柱、夜は火の柱とは、出エジプト記の荒れ野で神様が民を導いた姿と同じです。
その日、主なる方ご自身が、地上を導かれるということでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?