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回想 日雇い編

どうも!グレタです!化石燃料を使い続けると5年後地球滅びるってツイートの件、予言外してツイ消し逃亡した雑魚でごめんね!!

僕は高校生の時から日雇いバイトが好きでよくやってきた。
長い時間かけて関係性を作ってく普通のバイトみたいなのがすこぶる苦手で、飲食やスーパーのレジ打ちも短期間でバックれを繰り返していた僕からすると、その日限りの関係で終わる日雇いバイトは居心地が良くて好きだ。
体もいっぱい動かせるし。

トイレ掃除、ゴミ収集、事務所移転、引越し、倉庫内作業、配送助手、クリーニング屋、解体の手伝い、あと何やったかな、、まあとにかく色々今まで日雇いをやってきた。

初めのうちは全くコミュニュケーションを取らなかった(取れなかった)けど、成長とともに社会性がだいぶ上がったので、大学に入ってからはバイトの派遣先で出会った人と話したりすることが増えた。日雇いバイトをする人には僕みたいな快楽主義者が結構いるので馬が合ったりして面白い。

例えば今日は引越しのバイトで出会った元シャブ中39歳とずっと話していた。シャブをやったことある人と話す機会はなかなか無いのですごく興味深くて楽しかった。注射器まではいってないらしいんだけど、炙りを二十歳すぎてから六年間ほどやっていたらしい。
携帯会社で働くことになり、社会との折り合いが付かなくなり、LSDを使ってシャブをやめたらしいけど、瞳の奥に見える狂気には、ガラスパイプから出るシャブの白い煙の残り香みたいなものを感じた。

勘繰りすぎて真冬のクラブをシャツ一枚で飛び出して新宿のビルに入り、他人の家に勝手に入ってベッドで寝て警察を呼ばれた話や、
仕事中シャブをキメて潜在能力を最大限引き出すことで、重い荷物を積極的に運んで重宝されていた話、
学校を抜け出してマジックマッシュルームを食べて走り回っていた話、
湯水のように湧くジャンキーエピソードを夢中で聞いていた。

僕の良くないところとして、日雇いバイトで出会った人と連絡先を交換できないところだ。
仕事は仕事だから。みたいな謎のプライド?が邪魔してなかなか言い出せない、、
一言「インスタ交換しません?」だけで済む話なのに、、
こんな面白い人と繋がるチャンスなのに、、、
めっちゃ勿体無いことをしていると思う。

仕事が終わって解散する時、仲良くなった人には、「またどっかで会ったらお願いします」と言うのが自分の中で社交辞令になっているのだが、無数にあるインターネット上の日雇いバイトの求人から奇しくも出会った僕らの、その「またどっかで会ったら」が叶うことはないのである。

去年の12月末ぐらいかな。
街は年末ムード漂う中、極寒の川崎の倉庫でバイトをしてた時、27歳ぐらいのお兄さんと仲良くなって話していた。
逗子開成高校から明治大学という、同級生の中だと異端の落ちこぼれである彼は、コンサータ持ちの重度ADHDで、ギャンブル中毒だった。その生き様を聞いた時点で僕のセンサーでは魅力しか感じなかった。

彼は一留して大学を卒業して、地頭の良さを活かして面接で無双し、社長に気に入られ、大手の日清に就職し、重要な中枢ポストを与えられる予定だったのだが、最初のセミナーで寝バックれをぶちかまして、末端に左遷。
その後、退職し、エンジニア職に就くもののリモート仕事をサボりまくり、クビのような形で自主退職。
そして次の仕事の繋ぎの時期で日雇いバイトをしていたらしかった。社会人の人生の季節の変わり目に出会えるのも日雇いバイトのいいところかもしれない。

実家暮らしの彼は、専ら稼ぎを競馬や闇カジノ、競艇にパチンコとあらゆるギャンブルに注ぎ込んでいるらしく、実家でも肩身が狭いみたいなことを笑いながら楽しそうに話してくれた。その余裕が素敵で、今でもあの人に会いたいな、元気してるかな、とたまに思う。

一緒に帰って、南武線の何駅だったか忘れたけど別れ際、
「また『現場』で会ったらよろしくね!笑笑」
と言われて別れたのを覚えている。
仕事から解放され、話して楽しく過ごせた笑顔と、帰宅ラッシュの雑踏にかき消されたその言葉に確かな永遠が隠れていたことを僕はその瞬間に悟った。
また現場で会うことなんてないのに。これが今生の別れだというのに。。

人生には色々なルートがあって、高校では運動部、彼女もできて有名大学に入って、遊んで、単位もしっかり取って卒業して、良い会社に入って、親戚からは崇められ、結婚して、家族を養ってみたいな最短ルートを走れる人もいれば、
僕ら一部の日雇い労働者みたいに、何者かになりたくて、脳細胞が変性するぐらいのダサい失敗を経験して、学んで、立ち上がって、また失敗を繰り返して、なんとか幸せになりに行くみたいな遠回りの人生もある。急がば回れと言うし、遠回りの方が近かったりすることも往々にしてあると思う。
シャブをやっても、闇カジノをやっても決してそれが間違ったことをしてるなんて思わないし、そうやって教科書じゃなく、体で学んだことは最短ルートで綺麗な人生よりももっと尊いものだと思う。。

だから、今は何をやっても上手くいかなくて、努力も実らなくて、夢も見れなくて、みたいな人でも、他人と比べて落ち込む必要はないのかなと思う。
そういうネガティブな経験が学びに昇華する時が絶対に来るはずだから。
そしてそういう人の幸せを密かに僕は祈ってますから、一緒に頑張っていきましょう。!!!

アナル

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