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【第16回】思想の自由市場論 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

社会的効用

表現の自由には、社会的効用として、真理の発見に到達できる、ということが言われます。いわば、表現の自由の「機能」に注目した考え方ということができるかもしれませんし、表現の自由の自己統治の機能の背景となっている考え方といってもいいかもしれません。

それは、人々が自分の考え方を自由に表明しあうことによって、真理を発見することができる。社会全体としても正しい結論に到達できるという考え方です。

かつてイギリスで、ピューリタン革命を支持し、クロムウェルの秘書となった思想家で詩人のミルトン(1608~74)という人がいます。世界史の資料集には、代表作として「失楽園」が出ています。おじさん世代には、映画化され、テレビドラマ化された渡辺淳一の小説を思い浮かべてしまうのですが、憲法学者の間では「アレオバディティカ」という作品が有名です。なぜなら、この作品の中で「真理と虚偽を組打ちさせよ。自由な公開の勝負で真理が負けたためしを誰が知るか」と、言論の自由の重要性を説いた人だからです。

ちなみに、イギリスではシェークスピア(1564~1616)と並ぶ二大詩人としてイギリス文学を代表する人物とされています。「文学部の学生に法律を教えいてたんですよ~」と、法学部目線でお話したことがありましたが、もしかして、文学部の学生さんからしたら、言わずもがなのかしら?

裁判官ホームズ

こうした考え方がジョン・ステュアート・ミル(1806~1873)の「自由論」(1859)に引き継がれ、さらにはアメリカ連邦裁判所裁判官のホームズ(1841~1935)裁判官によってさらに連邦最高裁の理論にまでなっていきます。

ホームズは、「真理の最良の判定基準は、市場における競争のなかで、みずからを容認させる力をその思想が持っているかどうかである」(the best test of truth is the power of the thought to get itself accepted in the competition of the market)と述べて、表現の自由の重要性を力説しました。いわゆる「思想の自由市場論」は、アメリカ連邦最高裁で、優越的地位の理論の発展に大きな影響を与えた理論です。

思想の自由市場論は、いわば、思想を自由競争に置けば、誤った考え方は淘汰され、正しい考え方が生き残るとするものです。しかし、経済の世界でも「悪貨が良貨を駆逐する」ことがありますし、何より、現代社会においては、送り手と受け手が分離しているのではないかとか、経済的格差が発信力を左右するのではないかなどの問題も生じています。

しかし、国民の自己統治の価値も、言論の力で、政府の過ちをただすことができるという信念は、思想の自由市場論の考え方がバックボーンとなっているように思われます。そして言論の力を信じればこそ、日本国憲法の下でも、反憲法的な思想も保障したうえで、それは言論の力によって正すべきだという考え方が支持されているのではないでしょうか。

憲法改正国民投票法におけるスポットCM問題について

表現の自由の現代的課題の1つとして、この思想の自由市場を機能させるための条件整備があるのではないかと私は考えます。

憲法改正国民投票法の1つの課題として、スポットCMについて規制すべきか否か、があります。この問題は、放送が免許制であることなど、いくつかの連立方程式になっていることから、そう簡単な話ではないのですが、資金力にモノを言わせて憲法改正の賛否についてスポットCMを「自由に」流せることは、かえって思想の自由市場をゆがめることになるのではないかと思われます。CMについて一定の規制を設けることは、思想の自由市場を確保するための条件整備として、必要なのではないかと考えます。


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