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【第23回】真実性の証明 #山花郁夫のいまさら聞けない憲法の話

ホントのことでも言ってはならないこともある

イギリス法のことわざに、“greater the truth , greater the libel” 真実であればあるほど、ライベルが大きい、というものがあります。ライベルというのは、文書による不法行為を指しています。

イギリスはコモン・ローの国だというお話はしましたが、日本のように民法で、文書だろうが口頭だろうが違法に人の利益を侵害したら不法行為、というように定めているのではなく、文書によるか、口頭によるかでルールが違っています。

もともとは、文書による名誉毀損に関することわざなのですが、現代では、プライバシー侵害についてよりよくあてはまるようです。

あしながおじさんの正体を暴かれたAさんが、暴いた人を訴えた裁判で、「ホントのことを言っただけじゃないか」と、その真実性の証明を許してしまうと、傷口に塩を塗り込むようなものではないでしょうか。

表現の自由の重要性は強調しなければなりませんが、プライバシーとの関係では、遠慮しなければならない場合というのもあり得るというわけです。

ホントのことを証明できる場合

イギリス法のことわざにもかかわらず、名誉権がそもそも社会的評価から成立しているものであるとすると、その社会的評価が適切かどうか、すなわち、虚名を暴くことが、むしろ適正な社会的評価、本来あるべき社会的評価に導くのだというケースもあり得ます。名誉権の場合には、表現の自由はあまり遠慮しなくてよい場合があるということです。

刑法は名誉毀損罪の規定の後に、第230条の2という規定を設けています。①公共の利害に関する事実にかかわるものであって、②その目的がもっぱら公益を図ることにあったと認める場合には、③事実が真実か否かを判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しないとしています。

第230条 第1項 公然と事実を適示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

第2項 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。

第230条の2 第1項 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的がもっぱら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

第2項 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。

第3項 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

刑法

第230条の2は、表現の自由に配慮して昭和22年(1947年)の刑法改正で取り入れられた規定です。しかし、この規定によっても、真実の証明がない限りは処罰されることになりますから、萎縮的効果はけっこう働きます。裁判で、真実であったことを「証明」しなければならないということは、いざ裁判になったときにそれだけの証拠を手元に揃えておかなければならないことになりますが、これはなかなかのハードルと言えます。結構重要な事実の指摘であるにもかかわらず、処罰をおそれて、「じゃあ、発表するのをやめておこう」となりかねません。

そこで最高裁は、夕刊和歌山事件判決で、「事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であることを誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しない」としました(誤信相当性の法理。最大判昭44.6.25)。

刑事訴訟なのに立証責任が転換されている?

最高裁の立場は、刑法第230条の2について、表現の自由に配慮した解釈をしているようです。しかしそれにしても、誤信したことについて相当の理由があることについて、被告人に証明責任を負わせることになります。
裁判において、原告が立証責任を負うのが原則であること、特に刑事では、そうしないと被告人は罪を犯したからではなく、裁判が下手だったから処罰されることになってしまう、ということを以前お話ししました。

被告人が、本当に殺人を犯しているのかどうかについて疑わしい、強盗を働いたのかどうか疑わしい、というだけでは処罰されてはならないはずです。殺人罪が成立している、強盗罪が成立していることについて、検察官が証明しなければならないはずです。

ただ、名誉毀損の場合は少し事情が異なるように思われます。表現の自由と名誉権の調整という観点からすると、客観的には真実でない表現によって名誉権が侵害されているわけですから、「名誉権」の側からすれば、十分に人権は侵害されているのであって(刑法の表現でいえば法益は侵害されている)、そのこと自体がすでに犯罪を構成しているのだと考えることもできます。そうだとすると、検察側は、「犯罪の成立」については立証責任をすでに果たしていることになります。このように考えると、「犯罪の成立」について被告人に立証責任を転換しているわけではなく、処罰を免れる事由の証明を求めるものと考えることもできます。

刑法の問題は、犯罪として処罰すべきか、という問題ですが、民事事件、特に、公職にある者についてはこれでも不十分なのではないか、という指摘があります。そもそも真実ではない表現であっても保障されるべきではないか、というのです。

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